弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

バチェロレッテがとっても面白かったので

バチェロレッテを観た。や、バチェラーシリーズは全部見てたんだけど、や、どれも楽しかったんですけども。も〜萌子さん見てて楽しくて、久々リアリティーショーにハマりました。笑 

 

以下、7話までのネタバレなのでご注意。

そして見ていて感じたことをつらつら書いて整理してみる。

 

※あくまで私が、ご本人たちに思いを「投影して」書いたものです。私は、作品などをみて感じる「感想」とは、作品に触れることによって引出される「自分」を語っている、と解釈しているので、あくまで私を語る文章と思って読んでいただけるとありがたいです。

 

 

 

 

 

 

まず黄皓さん、声が好き。そして、見ていてほんのり切なくなる。これまで、いろんな偏見と戦ってこられて、それらに打ち勝つために底知れぬ努力をされたんだろうな。鍛え上げられた身体や、スマートな会話やマナーは、彼自身の努力の賜物であり、身を守るために身につけた鎧でもあるように見えた。私はこのところ、仕事で直接人前に出る機会が減ったので、マナーにあまり自信がなく(笑)この方の身の整え方はとても勉強になる。(割り込むときにグラスでかちん、はよかったなー)

 

一方で、努力をする人が、例えば「努力でどうにかなるものをどうにもせず、現状維持、または愚痴ばかり」みたいな他人の態度を前にしたら、ひどく怠惰に見えるだろうし、許せない思いも生まれるものなんじゃないかとも思った。

 

だから、「なぜ努力しないの?」「最前を尽くそうとしないの?」という問いを、常にご自身に投げかけ、同時に周囲にも投げかけてるんじゃないか。男性陣のみの会話のなかで見られるツンケンした態度は、彼自身が内外に向けている真摯な問いかけでもあるんだろうな、と勝手に解釈して見てた。

 

そこへいくと、萌子さんは黄皓さんに、自分の経てきたプロセスを見ているだろうなと思った。ただ、萌子さんはそこから一歩踏み出しているようにも見受ける。偏見と闘い、争いながらも、あくまで向き合う相手は自分自身、というとんでもなく研ぎ澄まされた(それはもう禅のような)スピリットを感じる。

 

まあ、画面には対男性しか出てこないわけで、同性同士で争うシチュエーションを見てないからわからないんだけど、少なくとも萌子さんは、スポーツに対して「コンプレックスの克服」というベクトルがないか、もしくはある地点で溶けていって、純粋に楽しみたい、この楽しさをシェアしたい、という思いが溢れているように感じる。

 

だから、自分に「努力しよう」という問いかけがそれほど強くないし、同時に周囲にも向けていない。もしくは、過去そうだったけど今は緩まってきてらっしゃるのか、わからないけれど。

 

ちょっと話が逸れるんだけど、萌子さんのスポーツマンシップ(?)が愛に溢れているのは、彼女がトライアスロンやランを通して、対話している相手が自然だからだろうなあと感じる。

 

(インスタのストーリーで、大雨の屋久島にて、豆腐岩をランしている姿を拝見したんですが、空身のトレランとはいえあんなに笑顔で走れる体力と精神力に惚れました。。。時期的にヒルやばかったのでは。。。私はヒルに食われたまま一心に歩き続ける謎の精神力は持ってるんだけど、他者へ向ける笑顔はなかったな〜萌子さんの内外にエネルギーが放出してるバランス、すごく好きだ)

 

台北で男性陣をランニングに誘ったとき、「朝日が見えるこの時間が最高に好き!」とはねる萌子さんを見てたら、強烈に共感するものが自分のなかに湧いたわけです。

 

旅先で、朝日を見ながら体を動かすって、最高にスペシャルで気持ちのいい時間だと思う。私は京都に引っ越してから、登山の頻度がかなり減ったのだけど、20代、旅先で登り続けた山の、あの朝日をあびて変化していく山や森のなかをわけいり、群青から桃色に、やがて黄金に染まりゆく世界を見渡すと、途方もうないほどに命が肯定されるんだよね。

 

わかるよー萌子さん、と思った。萌子さんはきっと、世界中を旅してあらゆる景色や仲間に、スポーツを通してダイブしながら、あらゆるものといかにつながるかを模索して、ご自身の内側にある痛みも惑いも溶かしてきたんじゃないかなあ。まあ、自分がそうだったからこれは投影でしかないのだけどね。

 

ただ、萌子さんが、どんな展開がきてもローズセレモニーでは完璧にメンタルを整えて相手と向き合おうとするあたり、あの溢れる自信と肯定感が、周りを打ち消すことなく暖かく包めるのは、一種のアニミズムの感性を全身を通して体感してこられた方の態度だなあと、惚れ惚れしながら見ちゃうわけです。「私もこんなふうになりたいなあ」と胸をときめかせながら。

 

だから、杉ちゃんははじめっからアニミズムだなと思う。過去、好きな人にプレゼントをしたら「ブランドものがいい」と振られた過去を「それもあるんだね」と肯定する感じから察するに、縄文ぽいなと思った。争わない、みんなでお祭りしよう、それぞれの表現を肯定しながら持ち寄ろう、だって草花はそのように生きてるもの、っていう、物事に正否を持たない感覚。

 

多彩な土器を作ってこられたDNAをお持ちというか。(余談だけど、私の三重の友人知人にも、ああいう朗らかさ持った人がとても多い)(あとまあここでいう縄文=あくまでユートピア的に理想した縄文て意味です。実は縄文時代が戦争しまくりの歴史的事実がでてきたらごめん笑)

 

翻って黄皓さんからは、ストイックにジムで自分を鍛える、時には鏡にうつった誰かと自分を比較しながら・・・という、懸命さ、同時に少しの切なさを、垣間見てしまう。でもこれは、多くの人が共感する感情なんだよね。他人との比較のなかから逸脱したい、でもその一歩がわからない、だから必死で努力する。

 

本当は、たぶん出演者のなかでも誰より、視聴者からの共感を得る感情や感覚をお持ちなんだと思うけど、それを曝け出す、という感覚は持ってない気がする(良くも悪くも、残っていく出演者には“曝け出した方がいい”って感覚があるんだよね)。つまり自分を表現したいんじゃない、あくまで勝負しにきている、というストレートな意気込みを感じて好きです。

 

それ以前に、自分がその場にいる、存在していることをしっかり一歩一歩踏み締めていくことを、とても大事なステップと捉えてらっしゃるんだろうな。と思う。だから本当に僭越ながら、心で小さくエールを送りたくなるよね、黄皓さん。というか、私のなかの黄皓さんなんだけど、もはや笑

 

自分が本来持っている形に磨きをかけて、理想に近づけたい黄皓さん。方や、本来持っている形がなんなのか、ひたすら磨きながらそれ自体を探りたい杉ちゃん。

 

で、この2つの問いが、収録時点での萌子さんの、ご自身への問いかけなのかもしれないなと感じる。つまり萌子さんのなかにこうこうさんと杉ちゃんの二人がいる。例えば少女漫画が必ず三角関係の展開を迎えるのって、あれは主人公の成長ステップのなかで、分離した二人の自分と相対しながら、どちらも肯定して受け入れていくために必要なプロセスだからそうなるんだと思ってるんだけど、萌子さんは根底に成長したい!っていう気持ちを強くお持ちだからか、自分のなかに二人いる自分のどちらかを選んで、成長のプロセスを消化させる形に、展開が進んでいったなあなんて思うわけです。

 

そして視聴者としては、さらにこの三人のいずれも自分のなかにいるなあと思いながら、楽しんで見ているわけです。だからなんか、ほんと見ていて愛おしい。いやあ、久しぶりにリアリティショーを楽しく見てます。どちらが選ばれても、泣いちゃうなあ。そして序盤から杉ちゃんばかり応援してたので杉ちゃんのことばっか書くかと思ったら違う方に筆が走ったな。。笑

 

そして私、萌子さん好きだなー。萌子さん見てると、本当にスポーツしたくなるんだよね。久々に夫婦で登山計画立てたよ。

 

さらに余談だけど、7話のラストで萌子さんが杉ちゃん抱きしめたのは、(編集で演出されたような)他意はないと思うんだよなー。というわけで、とっても身勝手に書いてみました。しかし、映画や小説、漫画などと違って、リアリティーショーの感想を書くのは、非常に大変な作業だと思いました。

 

作品は生身の人間の生き様を、あくまで作品を通して触れるわけだから、作者に対してではなくあくまで作品に対しての感想をもてる。でもリアリティーショーはその1枚ガラスがないので、下手すると一人の人格を直接触りかねないとも思いました。だからこそ、1枚の愛情ガラスを持ち寄って感想を言いたい、そういう作品ですね、リアリティーショーって、と思います。