弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

明るいとか暗いとかそんな単純じゃなくて

アメリカから帰国後、しばし新潟に滞在中。雪が降ってきた。紅葉がまだ終わりきらない山の上におしろいが振られて、光に照らされてとてもきれいで、毎日温泉に使って身体を癒やしながら、見惚れていた。

 

家にはネットがないので、仕事以外ではオフライン状態。小説が捗る。捗るというか、どんどん深いところへダイブしていく。そこへ雪が降って、いよいよ音さえ届かない。温泉からあがってwifiひっぱってメール確認をして、またぐぐっと潜る。

 

執筆と温泉の相性がいいのは、言葉というのは、身体から生まれてくるからなんだろう。身体から言葉を生み出す作業というのは、ちょっとした陣痛を伴うなあとよく感じる。書くと無心になるけど、書き終わるころには内側をボコボコ殴られたような独特の痛みが残る。肌は火照ってる。泣いたあとみたいな感じ。そこに温泉が深く染みて極上の癒やし。

 

仕事で文章を書いている間はあまり感じなかったけれど、物語を書くようになって、気づけば人生ごと付き合うようになって、あまり感情を差別しなくなった。大きなきっかけはゴッホだけど(さんざん書いた気もするからさておき)、まあそもそも「喜びのなかで軽やかに生きましょう!」とか「ポジティブ至上!」みたいな雰囲気押しな言葉の羅列を信用しない性格ってのもある。

 

喜びのなかで軽やかに生きている人は自分の痛みともよく向き合うようなあ、と周りを見ていても感じるし、私が知るとってもポジティブな友人は、「明るく見られるのはいいんやけど、あんまり手放しで「羨ましい」とか言われると、私に生まれ変わったらアンタ3日で死ぬで?って思うわ〜」と笑いながら言っていて、そうなんだよな、鍛え上げられたものなんだよな、と思ったりする。

 

ただ、誰がどう明るさや強さを、経験という筋肉によって支えていたとしても、なかなかその「筋肉」の部分って伝わりにくい。自分を表現しよう!と思うと、なるべくきれいなところ、きれいな言葉を選んで使うものだし、そう見せたいものだし、まあSNSってそういうもんだし、誤解の多い装置だよなーと思う。(そう考えると私はSNS、わりと相性が悪いんだよなあ、性格からしても)

 

「この人がそこに至るまでの道のり」って、おそらく生きてる時間や経験が増えるほど想像できるようになっていくもんではないかと思うんだけど、出産の痛みは同じ経験をした母親にしか本質的にはわからないように、自分が経験をしていない時間を想像するのは難解なものだと思う。だから、なんとなく誤解をしあいながら、まあ思うほど人って他人に興味がないものなので、そんなもんかなあと思いながらそれぞれに自分のことだけ考えて生きていくんだろうな、自分のフィルターを疑わずに生きていくんだよな、私だってきっと、などと思ったりする。

 

ただ、私はどうも、その誤解をしあいながらやんわり生きていく、ことが、うまいことできないんだなあと思う。なんでこうも、完璧なまでに自分のことを正確に、たしかに表現したい、それを伝えたいと思うんだろう。「あんたは完璧主義だよ。他人がどう受け取るかなんて自由だから。なのに必死になってコントロールしようとしすぎ」とたまに指摘もされる。そう言われるたび、「完璧主義に見えるんだよな、でもそうじゃない、言葉が見つからないだけ」ともやもや。「…てか、私にはそれくらいの誤差を諦められるほうがぜんぜんわかんないけど? なんでもっと言葉を尽くそうと思わない?」とさらにもやもや(笑)。

 

どうして私は、このささやかな「誤解」をうまく許して生きられないんだろう、とこのところよく考える。

 

だから仮説を立ててみた。私って、思うことが完璧に伝わり合う星から生まれたんじゃね?って(爆)。いや電波だと思って引かないで笑 自分の根本を否定しないための仮説だってば。ただ、私自身が「ものごとが完璧に伝わり合う」という経験を経てないのに、「完璧に伝わり合わないこと」にこんなにも苦しむって、おかしな話じゃないかと思うのよ。これって、かつては「完璧に伝え合うことができた」から、伝わらないことが悲しくなる、って構造なんじゃないかって思うんだよね。

 

だからって夜空の星を毎晩仰ぎながら「早く迎えに来てお星さま」ってな薄幸のお姫様気分に浸る暇もないし、なんかそれもソンだよね〜と思う。だからたぶん、私はものごとを伝えたい欲求が強いんだと思うようになった。伝わると実感できるまで諦めきれないんだと。伝わるって、どこかで強く信じてるんだと。だって私たちは、かつて伝わり合って生きていたのだから、と。

 

そして、「ここに至るまでの私の道のり」を、あなたに、ただあなたに伝えたい。あなたが遠い場所にいて、私と違う言葉を使っていたとしても、まるで一体になったみたいに、私の言葉があなたのものになるように、言葉を紡いでいたい。絵を描いていたい、写真をとりたい。伝わればいい。伝わるなら、別に表現方法にはこだわらない。ただ、いまのところこれが得意だから、選んでるだけで。なんかそんなことを考えたりして、ひたすら机に向かってる。

 

今年は本当によく旅をした。訪れた国は五カ国、国内も飛び回った。でもどこでも同じことを考えてた。書いてる物語は、旅と一緒に深まり、成長してる。溢れ出す痛みと記憶を言葉に溶かして、ただひたすらに書いてる。身体の痛みを温泉に溶かして、ああ書くって、私だけがやってる作業じゃないなとつくづく思う。私は痛みを差別しない。痛みは溶けるまで、そこにあることを肯定して生きたい。絶対にごまかさない。

 

明るいとか、暗いとか、そんな単純な言葉の世界のなかで私は生きられない。痛みさえ大切になる世界がいい。自分の内側にある痛みを外へ追いやろうとして、私たちは外の世界を傷つけてきたのかもしれないから。

 

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メイン州のOrr's Islandにて。どどんと大西洋!そして海のなかは大量のロブスターちゃんが泳いでる