弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

「途方もない懐かしさ」の正体

いってえなあ。

 

できればもう感動したくない。感動ってしんどい。

感動すると、胸の真ん中にある真っ赤な水風船が刺激されるとバンと弾けて、中から真っ赤な液体がドロドロ出てくる。溢れた感情が肝臓を痺れさせ、消化が追いつかずに今度は肺を上がってくる。喉と首の後ろが同時に痛い。真っ赤な痛み。

 

そのあとはもう、吐くか泣くか、でなければひたすら手を足を動かして発散してしまうしかない。いってえなあ。感動は身体にくる。アウトプットが追いついてない。それでも次から次へと刺激がやってくる。鮮やかな黄色が空にいっぱい弾けるブナから、手のひらほどの落ち葉が舞い落ちる。いってえなあ。何見ててもいってえ。

 

身体にくるくらいの感動は、たいていが懐かしさからくる。郷愁よりもっと奥深くにあるこの感情に長いこと名前をつけることができなくて、赤い感情が溢れて痛いばかりだから、ずっと見合う言葉を探してた。赤い感情を連れてくるものの多くはいつも景色の中にあったけど、時々音楽とか絵画の中にもある。このブログでも度々書いてるけど、私にとってゴッホが、そのうちの一つだ。

 

私の体の中にはゴッホという部屋がある。もちろんその部屋の中にゴッホがいて、ひたすら絵を描いているわけじゃない。ある種の感動値、色でいえば血のように赤い感情が溢れてくるドアの向こうを、私はただ「ゴッホ」と名付けた。これまでで一番、彼の絵が、赤い感情を溢れさせたからだ。

 

この赤い感情はどこからくるのか、痛みを味わいながら紐解くと、川の底、暗い深淵の奥深くに、いつも何かがある。暖かい。お母さんと超えたところにあるお母さん。この気持ちを、大括りにすれば「懐かしい」だ。それも、途方もなく懐かしい。これ以上を言葉にするために、何度もゴッホの絵を見る。

 

ボストン美術館にはゴッホの絵がいくつかある。同館は一度チケットを買うと10日間も再入場ができるのだ。規模だってルーブル並みに大きいけど、なんせ人が少ない。パリではごった返す印象派だって、ボストンでは一人っきりで堪能できる。

 

私はそのうち、ゴッホがサンレミ近郊の渓谷を描いた絵に見入っていた。画家のエミール・ベルナールに送った絵で、のちにそれを見たゴーギャンが感激したことをゴッホへの手紙にしたためている。


絵はこちらが見ることによって突如として脈打ち、体温をもち、独特な風圧でこちらを圧倒する。その風の中に佇むうち、胸の真ん中からドロドロとした赤い感情が溢れて、床にポタポタと滴っていく。熱湯みたいな涙が目から滑り落ちても、全身を這う甘やかな痛みにも浸り切ることなく、さらに奥へ奥へと進む。涙が流れようが、肩が震えようが、心を凪に保って、さらに深淵へ落ちていく。

 

灰色と薄紫色の岸壁がうねり、紺碧色の渓流が弾む。赤と黄色と濃い緑色の草が岩から燃え上がるように伸びて、そこだけ静かな空を捉えようとする。二人の親子が、谷間を登っていく。二人の身体は岩に溶けている。この世界には振動がある。今まさに、地震が起きたような振動がくうをはっている。

 

その奥へ、奥へ、凪いだ心の重みを差し込んでいく。

 

底を流れる暖かさ。途方もない懐かしさ。その奥にあるしこりに触れた瞬間、頭の中をぱあっと白い言葉が満たした。

 

白い言葉は、とうもろこしみたいにつぶつぶしていて、それを噛み潰していくうちに、甘みが広がる。一口噛むごとに、言葉が生まれる。

 

 

懐かしさの奥に、深くて大きな私がいる。

途方も無い懐かしさの正体は、大いなる私との再会だ。

 

言葉になった途端に、我に返った。形になった途端、私は絵の世界の中から弾かれた。手の中にある言葉を何度も反芻する。大いなる私。再会。言葉は絵から取り出した瞬間に、少し褪せた。だから私が息を入れて彩る必要がある。その言葉を、そっと手帳の中にしまい込む。

 

大いなる私。再会。新たにテーマを得た。一つの山頂に来たら、次はもっと大きな頂が見える。どんなに心で深く潜っても、言葉で引き上げても、延々とその繰り返しだ。でも形にさえできれば、次はその地点から潜水を始められる。形にすることはきっと、一つの記録でしかない。

 

ボストンに来て11日目。今日までの記録をここにメモしておく。

 

絵を見ている最中に夫が撮った写真を貼る。私ってこんな顔で泣いてるのかー。絵を貼ろうか迷ったけど、やめておく。あの絵に縁がある人の出会いをここで奪ってはいけないよね。きっと。

 

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