弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

モクレン

今朝は山鳩が口笛する声で目が覚めた。一瞬、自分の体が山の中にでもあるのかと思った。台風が近づいているのか、風が湿っぽい。レースのカーテンが膨らんでしぼむ。ベランダの外いっぱいに茂る木蓮は、天に引っ張られているみたいにまっすぐ枝を伸ばしていて、肉厚な葉が空を埋めてる。黒揚羽がひらひら舞い込んで、葉と葉の間でスズメがキョロキョロしてる。

 

葉が生い茂るというだけで、こんなにもたくさんのお客がきてくれる。

 

毎年夏前になると、アパートの不動産が雇った庭師が剪定をしにくる。引っ越してきて初めての時、なにやら緑のきつい香りがすると思ってベランダに出たら、枝という枝を切り落とす庭師と目があって、思わず「なんで切るんですか」と聞いた。庭師はちょっと気まずそうにして「落葉が多くて、ご近所から苦情がきたと、不動産から連絡があって…」と言った。

 

落葉って…下はコンクリートなんだから、土にかえらなくて当たり前じゃないか。景観が悪い?ああ。こんなことになるなら、全部掃除してしまえばよかった。一応掃除も不動産の管轄らしいが、掃除されている様子はなかった。どこかから連れてこられた木が、こっちの都合で丸ハゲにされていく姿が辛い。街路樹は不自然な自然だ。だから、2年目はなるべく葉を拾った。それが功をそうしたのか知らないけど、今年は木蓮だけが剪定されずに済んだ。でもあまりにも葉の勢いがいい。来年は剪定を免れないだろう。

 

一度、長野での植林ボランティアで、間伐のために、痩せた杉の木をチェーンソーで切ったことがある。耳をつんざくような金切り声をあげて、杉はどしんと地鳴りを響かせ倒れた。森の再生のために木を切っているはずだった。木を切れば森に光が入って、植生が豊かになるのだ。

 

豊かにするために、なんで私はいま、杉を切ったんだっけ。思わず指導していたおじさんに、「あの、なんか一瞬、なんで自分が木を切ってるのかわからなくなって。これって山のためなんですよね」というと、おじさんはああ、という顔をして、「自分にも、わからないんです。時々、自分はなにをしてるんだって思います」と言った。「かつて人間が財のために無茶苦茶に植えたつけが、いろんなものを混乱させてるんですね」と。

 

知人で、植物が好きで庭師になって、剪定のたびに木の枝を切っていたら、だんだんと自分の指を切ってるような気持ちになって、とうとう庭師をやめた人がいる。その人はいま、森歩きのガイドとして全国を飛び回っている。

 

なんていうのか、私はそういう人がいるんだってだけでとても気が楽になった。「ああ、そうですよね、痛いんですよね」って言い合える人がいたってだけで、なんか大丈夫だって思えた。本当に痛かったんだよ。あの朝、切られた木蓮を見て、全身を切られたみたいに。なんとか切らないでやってくれないかなあ。葉は拾うから。切っても切っても木蓮は再生するけど、それはあんまり切ない。

 

本当は、街路樹なんてやめたらいいんだろうな。寂しいけど、もう切ない。

 

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