弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

あおり運転のニュースを見て

去年中古の車を買ったとき、よく行ってる神社で車祓いをした。京都ではしょっちゅうどこかしらの神社やお寺の守りステッカーを貼ってる車を見てたから、なんとなくやっておこう、それくらいの気分で。

 

お祓いが済んだ後、振り返った禰宜さんが、「最近はあおり運転が社会的な問題になっています。これは人の心の余裕のなさから起きるものです。なので運転をする前に、しっかりと手を合わせ、安全をお願いし、心を鎮めて運転なさってくださいね」と言った。風涼しい初夏の朝、その言葉が私と夫の胸にもすうっと入ってきて、その日以来、運転をするときは必ず手を合わせている。今の所、事故は起きていない。

 

あおり運転のニュースを見ていたら、禰宜さんの言葉を思い出した。運転手を殴る男性は、見るからに余裕がなさそうだった。あんまり考えたくないことだけど、正直この手の事件は減らないだろうなあ、と思ってしまった。だっていま、余裕のない人の方が、どんどん増えてると思うから。

 

運転中はないけれど、ただ道を歩いててもふと舌打ちをされることが何度かある。自転車がキュッと突っ込んできて、こっちが「危な」って思ってると、「チッ」みたいなやつ、3回くらいあったかな。で、決まって相手は急いでる感じの女性で、見るからに肌と髪が乾いてて、なんか日々に追われまくってる雰囲気。もともとのイライラ値がハイパー高いんだろうなあと、思い返すとそんな感じ。

 

そういう社会のふとした一端と、自分の日常がぶつかっちゃうことって、あるんだよね。で、誰しもが社会と繋がって生きてる以上、どっかで起きた歪みの歪みが、ニュースを騒がせるって仕組みはどうにもあると思うんだよ。どんなに自分とは関係ない事件だって、自分と繋がってる社会で起きてる以上、全く無関係ってないんだよな、と思う。ひどい事件には批判も非難もあって当然、だからって許されることは100パーセントないんだけど、ニュースの向こうで起こることそのものを自分の日常と切り離すのは、危ないかなと思ってる。

 

たまにこの手の話を人としてて、「なんか別世界のことみたい」つって完全他人事だったり、「いや、私は守られてる」「そういうこと考えてるとそういうこと起きるんだよ。ポジティブシンキングでいればやなこと起きない」とか言い切ってたりするのを見ると、それってフィルターにすぎないじゃんと思う。世の中、自分なりのフィルターかけてる同士が交差点ですれ違うもんなので、当然悪意で世の中みてる人っているんだよね。嫌なこと起きてもすぐ忘れる!くらいのポジティブさはむしろいいよねと思うけど、本来切り離せないものを思考だけで切り離すのは危ないのかなと思ったりする。

 

というか、じゃあ海の向こうで戦争が起きるのって無関係だと思うの?って話で。それくらい、全部が繋がってるって意識があったら、起きてることとはどっか向き合うもんじゃないかなと思う。世の中には、「あんの?」ってくらい明確な悪意って実際にある。だからどっかで覚悟はした方がいい。社会全体の余裕がなくなれば、それは相対的に増える。猛暑が続いたらそれだけで気が狂う人だっている。そのことはちゃんと身構えた上で、自分なりの楽しい人生を集中して生きようよね、などとしばし考えた。まあ、心配しすぎも違うんだけどさ。なんちゅうか、大事なのって余裕を持つことだよね。やはり。

 

アマゾンでドライブレコーダーを見てたら「本日限定値引き!」と掲載されてる商品がわんさかあって、こういう一端もあるんだねえと笑ってしまった。

 

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なんかあれなトーンなのでポコちゃん投入