弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

お祭りなんて大嫌い

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山下清の長岡花火。大好きな絵。

 

急遽、台風めがけて新潟から京都へ帰ってきた。用事ができて。台風は一晩で過ぎ去って、今日は無事、五山の送り火が開催された。うちは割と北の方なので、どこの文字も、まるで山に印字された花火を見ているような迫力で見られた。

 

ふと、京都に帰ってきていて良かった、と思った。住民というより、観光客の気分で送り火を見た。だからただ気楽で楽しかった。今頃、新潟の地元では花火大会だ。良かった。京都にいて。地元の花火はもう何年も見ていない。お祭りも、わざわざ行こうとは思わない。子供の頃、楽しみで仕方なかったはずなのに、思い出すのは、楽しいはずのお祭りが、いつも居心地悪かったことばかり。

 

いや、小学生の頃だって、お祭り自体は楽しみだったはずなんだ。でも、あの頃言葉にできなかった気持ちが、この歳になって、あの盆踊りに流れる悲しい演歌とか、太鼓の音とか、わたあめ機のモーター音とかと、全部一緒くたになって溢れ出てくる。今なら、なぜあんなにお祭りが寂しかったのか言葉にできる。

 

私は転校生だった。子供の頃は引越しを繰り返してたから、「ここが地元」と思える場所がない。一応、現在の実家がある町を「地元」ってことにしてるけど、その町に住んでいたのだって6年くらいで、正直思い入れがない。というか、思い入れのある町なんて一つもない。生まれてから今まで、一つの家やアパートに暮らした年数が平均でも3年未満。最短で半年足らずででた部屋もあった。引越しは20回以上。

 

それで特定の「おらが町」に対して、その町で生まれ育った人と同じ熱量でお祭りだの盆踊りだのに参加する方が無理って話。だから大人になった今は、どこにいても自分は観光客みたいな気分で、無責任にたゆたうくらいの距離感しか持てないでいる。

 

小学1年生のとき、秋頃に大きなお祭りをする町へ引っ越してきた。あっというまにクラスに馴染んで、すぐにクラス委員にもなった。運動神経も頭もそれなりに良かった。何より人の心が嫌でも良くわかった。いわゆる人気者だった。幼稚園も二箇所通ったので、すでに転校生なりの身の守り方を心得ていたんだと思う。

 

近所の友達に誘われて、ある夜、お祭りのための町内集会へ行くことになった。町内の父兄が集まって祭りの準備をする。母は女手一人で娘二人を育てているから、町内行事に参加する時間も体力もなかった。いつもは閉ざされたよくわからない建物が町内の共同施設であるのをこのとき初めて知った。玄関のサッシ戸は開きっぱなしで、そこら中が靴やサンダルで溢れてた。一緒にいた友達は、知り合いのおじさんに声をかけられ、そのまま部屋の奥へと入って行った。私はそのまま、玄関に一人突っ立っていた。

 

ふと、そばに座っていたおばさんが私の顔を見た。でも転校生だからどこの誰だかわからなかったんだと思う。友達もおしゃべりに夢中になって、こっちに気づかない。誰も声をかけてこない。私も、誰に声をかけて、一体ここで何をすればいいのかさっぱりわからない。顔から火が出そうだった。誰も私を見てないのに、みんなから見られているような変な気分だった。どの隙間にも、自分の居場所が見当たらない。子供心に、プライドがひどく傷ついた。

 

身体いっぱいが痛くなって、重くて、ヒリヒリして、後ずさりして、家に帰った。お母さんは、私ががっかりして帰ってきたのを見たら悲しがるかなと思って、なるべく遠回りして家に帰った。すぐ布団に潜って寝たふりをした。心が痛くて痛くて涙一つでなかった。学校には居場所ができても、この町には、自分の居場所なんてないんだと打ちのめされた気になった。

 

次の町でも、その次に住んだ町でも、お祭りには心が踊った。でも、いつも疎外感を感じた。お祭りの夜は、静かな町から一気に人が溢れ、これほどの大人も子供もいたのか、この町に、って、なんだか唖然とした。そのどれも知らない顔ばかりなのに、知らない顔同士がお互いの顔を見て笑ってる、知らない踊りを踊ってる。その輪の中に入っていくことができない。みんな踊って回ってる。その輪の前で、どうしていいのかわからない。

 

 

多分これが、自分にとって大きなコンプレックスなんだろうな。

と、書いてて、やっと認識できたけど、これをどう自分で楽にしていけるのか、

それは全然わからない。今は書くのが精一杯。

今思えば、町に居場所なんてなくたって、お祭りに居場所がなくたってなんの問題もなかった。ただ、そこに守るべき自分のプライドとか美意識があったんだよね。

 

とにかく私は、お祭りなんて大嫌い。