弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

知らんおっさんに怒鳴られて

生まれて初めて、赤の他人に「ぶっ殺すぞ!」って怒鳴られた。「いい加減にしろ!ぶっ殺すぞ!」。深夜1時。相手は50くらいのおっさんで、顔が真っ赤になるほど酔ってた。お酒臭かった。そのとき私は38度の高熱でクラクラしてて、それなのに身の危険を感じてかえって冷静だった。そして、ただただ平謝りした。相手の熱が冷めるまで頭を下げ続けた。

 

なんでだろう、怒鳴り散らす相手にはこうするのが一番いいってわかってた。すみません、ごめんなさい。どうぞその感情を吐き出してください。私はあなたを脅かしません。だから、ごめんなさい。そう言い続けて、相手の気が済んで熱が冷めたら、冷静に話し合えばいい。どこでこんなこと覚えたのかも定かじゃないけど、ただ私はそうすればいいと考えて、そうした。最後の方には、そのおじさんは我に返ったように、「なんか、ごめんな、すまなかった。大人気ない」と逆に謝ってきた。

 

まあ、なんでこんなことが起きたか、原因は大したことじゃないので省くとして。その夜は急な発熱に加え、おまけにおっさんに怒鳴られるっちゅうわけわからん事態が起きてよく寝付けなかった。朝起きると、熱だけすっかり冷めてた。しかし今度は、その日の昼ごろ、そのおっさんとやりとりした場所を通ったら、お腹がしくしく痛くなってしまった。肝臓のあたりが膨らんで、小腸にかけて妙な膨張感がある。

 

実はここ2年ほど、この手の痛みがしばしばやってくる。病院で診てもらうと、「幼い頃に小腸についた傷が、大人になって引っかかりになてて、ガスが肝臓あたりに貯まることがある」とのことだった。整体の先生は、「肝臓が痛む時は、怒りが原因だったりします」と言ってた。そして治療を受けるたび、「弥恵さんはこんだけ敏感だから、もっと深く自分の体の声を聞けますよ。痛みはメッセージだから。手を当てて、たまに対話して診てあげてください」と言われた。

 

よし、ここはちゃんと手を当てて聞いてみよう、と思った。夜、ひぐらしの声を聞きながら、膨張した肝臓に冷たい手を当て、深呼吸を繰り返した。鼻で深く吸って、鼻で深くはいた。

 

しばらくして、やっぱりあのおじさんの、真っ赤になった顔とか、お酒くさい息を思い出した。全身がキュッとした。もう終わったことなのに、ちゃんと和解までできたのに、まだそんなに怖いの、情けないな、なんて頭であれこれ考えると、もっと痛くなった。頭で考えてもダメなんだ、これじゃ押さえつけてるだけか、と思って、ただぼうっと映画を見るみたいな要領で、思い浮かぶおじさんの顔をじっと見た。すると言葉が浮かんだ。

 

「怖い」

 

それを口にしてつぶやいてみた。「怖い」

 

怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

 

あのとき、私はどんな顔をしていただろうか。そうだ。私は、「怖い」っていう顔ができなかった。つとめて冷静で、申し訳なさそうな顔をしていた。

 

私は、あれほど全身で恐怖を感じていたのに、それを表現することができなかった。「怖い。怒鳴られるのが怖い」って言えなかった。顔にも出せなかった。私は怖いって言いたかった。怖いからやめてって言いたかった。表現できないままになった恐怖が、まるで行き場を失ってもがくように、肝臓の当たりで膨らんでる。その気持ちも、感情も、じっとじっと呼吸しながら、味わってみた。

 

すると、前にもこんな気持ちになったことがある、と思った。

 

そうだ。私は、男の人が怖い。

 

私は、男の人が怖い。特に密室空間で二人きりにされると、自分を守ろうとして、無意識に「怖くない態度」を取ろうとする。本当は「怖い」って言いたいのに、それを言ったら失礼だとか、傷つけるような気がして、ニコニコしてしまう。怖い気持ちを座布団みたいに下敷きにして、その上でヘラヘラ笑ってしまう。あまりに怖いと、もう女性じゃないような振る舞いをして、どうか私を女性としてみないでください、と後ずさりする。一番怖いのは車の中。男の人が横で運転してると、それだけで本当は緊張する。なのに、それをどこかで「誰でもこんなもの」って決めつけてた。大したことじゃないって思い続けてた。

 

車の中。男の人。怖い。さらに深く深くその気持ちに手を当てたら、しこりのようなものがぶつかった。

 

車の中。お父さんの横顔。私に向けられた説教。

家の中。怒鳴るお父さんの真っ赤な顔。私はどんな顔をしていいかわからない。

 

そうだ。

 

私が怖いのは、お父さんだった。

そこまで見えたら、ワッと涙が溢れてきた。それでも呼吸をやめず、その続きをしっかり見つめた。

 

お父さん。お母さんと怒鳴りあってる。お父さん。本当はお母さんみたく、心が強くない。お父さんの心は弱い。お父さん、必死で心を守ろうとして、代わりに一生懸命怒鳴ってる。必死で怒鳴ることで、怒ることで、恐怖から身を守ろうとしてる。勢いよく外に飛び出していったお母さん。いきなり静かになった台所。お父さんと目が合う。私はなんでもない顔をする。「お父さん怖い」って言えない。言ったら、お父さん傷ついちゃう。

 

お父さん。離婚して引っ越して、私は小学生になった。楽しみにしてた夏休み。お父さんに唯一会える数日間。車で迎えにきてくれた。妹は後部座席。私は助手席。お父さん。私は学校でのことを色々話した。お父さんはいった。「弥恵ちゃん。自慢したいなら自慢したいって言いなさい。お父さんから、気持ちいい言葉を引き出そうとするのをやめなさい」。お父さん。私はただ、こんなに学校で人気者の自分を、あなたに認めて欲しかっただけ。お父さん。怖い顔しないで。逃げ場がないよ。車の中。息が苦しい。

 

幼い頃の自分の顔が浮かんだ。涙がとめどなく溢れて、わっと感情が湧き上がりそうになった。それを止めることなく、でもけしかけることもなく、とにかく息を吸ってはいた。たった今寝室では、母と夫がいびきをかいて寝ている。静かに静かに味わう。

 

ああ、そんな風にして、いろんなことを我慢したんだね。私は、ただ表現したかったね。嬉しいときに「嬉しい!」って跳ねることと、全く平等に、怖いときに「怖いよ」って言って、泣き出したかったんだね。

 

30を過ぎて、お父さんにメールで聞いたことがある。お母さんはいたって健康体なのに、私はどうも腸が弱い。これって、お父さん?って。そしたらお父さんは全く同じだって言ってた。いつ、どんな風にして、お腹が痛くなるのかも、20代は、ストレスで胃腸炎ばかり起こしていたことも。食の好みまで、一緒だった。

 

そしてつい最近、20年ぶりに父方の墓参りに行った。墓の前で、ご先祖さまに手を合わせていると、何か隠れたいような、強い恥の意識を感じた。深く深く感じていくと、父方のご先祖様たちに綿々と受け継がれてきた、「感情に蓋をする」意識が、ご先祖様から私の左半身を伝って、ピタリと手を合わせた両手の中に、それは浮かんできた。私はその時、目の端に映った田んぼにキラキラ光る美しいものを重ねて、「大丈夫だよ、ありがとう。痛かったよね。でももう大丈夫だよ」と呟いた。

 

恥ずかしいなら、恥ずかしいよって顔をすればいい。ただそれだけ。なのに、恥ずかしいっていう顔をすることが、どうにも恥ずかしくてできないんだ。

 

6月、パリのオルセー美術館ゴッホの絵を見たとき、感じたのは、彼の描く絵には、どれも感情の差別がなかったことだった。ゴッホの絵は、悲しさも喜びも苦しさも快楽も、すべてただ一つの力として、命として、描かれていた。そうなんだ、本当は、どんな感情も表現していいんだ。嬉しい気持ちは良くて、悲しい気持ちは抑える、とかじゃない。どっちもただ命の発露だから。それを素直に表現していいはずなんだ。

 

だからもし、またあんな風に怒鳴られることがあったら。

私は恐怖を隠さない。

私は「怖いです。怒鳴られると怖いんです」ってちゃんという。

怖いのに、ましてや笑顔なんて向けない。

私は私が感じたままをただ表現する。

 

そう思ったら体がすごく熱くなった。不思議なことに、朝起きると、肝臓の痛みはすっと消えていた。

 

 

 

そう言えば、お父さんもゴッホが大好きらしい。

 

 

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フランス・オーベルジュゴッホが描いた小麦畑で泣きじゃくったな