弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

真夏の引力

7歳の時、新潟県の魚沼へ引っ越してきた。とにかく一面田んぼの海で、それまで暮らしていた関西とは空気の匂いが違った。新潟は土の甘い香りが濃厚で、特に夏は腐葉土の酸味を含んだような匂いが夜空に立ち上る。わたしの体には、この香りによって、深く刷り込まれた「夏スイッチ」がある。上京しても京都へ越しても、夏が来れば、どうにも魚沼が恋しくなる。

 

今日は原稿を書いた後、車に乗って文房具を買いに町へ出た。なのに途中、はてなんで車を出したか思い出せなくなり、窓から入ってくる田んぼの泥臭さに胸がときめいて、気づいたら国道より一本農道へ入り、山沿いを走っていた。八海山の向こうに重たく立ち込めた雲があった。越後山脈の奥へ奥へと車を走らせた。音楽なんて何もかけない。かけなくても、田んぼの海と青い山がどんどん狭まっていく景色の中で、耳にこもる歌声が勝手に鳴り響く。

 

農村を超え、どんつきまでくると細い山道になった。ここから先には神社があって、八海山へ登る登山道の一つでもある。車を止めて、長い参道を歩くと、小学生の頃なんども母に連れてこられた神社と、山から降りてくる小さな渓流が広がる。涼しい。ここだけさらにひんやりしてる。傍にある山小屋は一応営業しているみたいで、ふと覗くと、店番のおばあちゃんが、おじいちゃんにTシャツを着せていた。

 

チャチャっと参拝して、渓流へ降りた。水の流れが強くて、そういえば一昨日まで雨が降っていたのを思い出した。誰もいない。誰もこない。ワンピースの裾をたくし上げて、太ももギリギリまで浸かる。ちらちらと光を跳ねる水面が、降りたての雪みたいにきれいで、思わず頭の先まで浸かった。水の中で目を開けたら、ワンピースがめくれて、巨大なピンクの魚みたいだった。もう一度頭をあげて息を吸い込み、水の中へ落ちると、今度は私が消えていた。岩に腰掛けると、水面に私の細胞が溶けて、ぶよぶよと浮き上がっていた。誰かが声をあげて泣いてる、と思ったら、それは私の声だった。

 

水を吸い込んで重たくなったワンピースをなんとか絞って、ペタペタ歩いた。山の中にある川が一番好きだ。渓流はこの体の故郷だと思う。生まれたての水を含んでひた走る清流。海より川より、私が好きなのは岩清水。走れ走れ、生まれた命で。どこからきたのかわからなくても。

 

車のエンジンをかけると、なぜか一斉にセミが鳴き出した。瞬間、文房具を買いに行くはずだったことを思い出した。夏には引力がある。山々が股を開いて、命の境にも気をかけないで、人の命を吸い込む。そこからもう一度生まれ出てくるたび、問いかけられてる気がする。

 

お前の命の境など、一体誰が決めたのだと。

 

 

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