弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

散らして結んで

 

本当に今年の春分あたりから、それまで予兆はあっても曖昧だった自分の立ち位置が、いきなり「世界のこっち側」に突き飛ばされた感覚がある。あんまりいきなりだったもので、それでももう突き進んでいく時間の中で、そっかこれは前に進んで行くしか、もう本当にないんだなあ、ってちょっとずつ受容してる。

 

そうやって起きてくる不思議な現象の数々を「なにこれ」「え、無理」「マジで言ってんの」って飲み下して行くうちに、毎時毎時、世界の見え方も、歴史の捉え方も、何もかも一変して行く。その内容をつぶさに書いて吐き出せたらとても気楽だけど、そんなの誰が読んだって、オカルティックだったりスピリチュアルなものとしてしかカテゴライズされない。自分にとっての当たり前がそんな風にしか受け取られないだなんて、そんなの考えただけでゾッとする。

 

「目に見えない物事」に対して、ほとんど多くの人が、適切な距離を持って接することができない、何か依頼心を持って期待するか、頭のおかしいこととして始末するか、そうやってただ磁場を荒らしてしまうだけのものってことは、そら幼少のみぎりから体感してきましたもの。「それはない」っていう常識に着地した上で、じゃあ話しを始めますね、っていう態度は、「当たり前とされている世界」を信じてる人々を脅かさないための、それなりの礼儀なのかなと思う。

 

ただ時々、「その常識やら一般やらにくくられた世界の方が、わたしにはずっとずっとフィクションだよ!」ってメガホン持って叫びたくなる時ってある。なんていうの、生理前って妙にこう、突破したい気持ちが湧いてくるよね。でも、だったら似たような体質の、似たような世界観の人たちといたら気楽かって言ったらそうでもない。むしろ、「あれ、こんなにも違うんだ」ってことをまざまざと思い知る。「この人には話せるかも」って話して、やっぱり何かが違くて、「ああ、こんなにも話を聞いてほしいんだ私」って気づいた。

 

そういう期待をてんこ盛りにして、親友に話した。ただ、高校の時、とりあえずコンビニでジュース買って、適当にどこか腰掛けて、気づいたら何時間も話してた、みたいなノリで、突飛もないようなことを、さも当たり前のことみたいに聞いて欲しかった。田んぼの真ん中の、なくなったおじいちゃんが彼女に残した古民家の軒先で、カエルの声を聞きながら、彼女の恋人のこととか今やってることとかひとしきり聞いた後、思いっきり息を吸い込んで、思いっきり喋った。

 

すっごいフィクションみたいだけど、確かに起きてることなの。その確かさを知ってるのは私の体だけなの。別に誰にも話せなくてもいいことかもしれない、同じような経験をしている人がいるのも知ってる。でも、こういう時間を過ごして、痛い思いもいっぱいして、強烈なエクスタシーも快楽も、天地が逆さまになるような感覚を何度も飲み下して、かつての感覚もどんどん忘れてる。そう思ったら、すごい悲しいんだよね、これが自分にしか見えてないってこと、感じられてないってことが。たったじぶんひとりだけで全部体感して、「ああそうなんだ、こういう風に語られてるあらゆる常識って、全然違うのね」って静かに悟って、それで終わりって、ちょっと、生きてるってなんだろうとか思ってしまう。

 

今までもいくらでもあったの、でもこれまでは、そういう時は山に入ったり海に潜ったりすれば、色々なものが守られてた。言葉にしなくても、私の存在って守られてるって実感できたの。だってすごい孤独に陥っても、自然の中に入れば、それは溶けてしまうんだもの。だから、別に誰かに言えなくてもいいや、ってほとんどほったらかしにしてきたんだよ。でもなんかもう追いつかないの、ただね、ぶっちゃけ楽しいんだよ。だって全部、書いてる物語に生かされて昇華されていくんだもん。しんどいけど楽しいの。形にできるってすごい手応え。でもね、やっぱりね、友達に話すってこと、すごいやりたかったの。初めからわかる人にじゃなくて、ただ、あなたに話したかったの。

 

そうやって吐き出していく言葉がカエルの声に絡みとられてどんどん夜空に溶けていく。家の中じゃなくて、こういう、空の下で話したかった。飲めもしないのになんとかサワーを飲んで、もう彼女が相槌をする暇もないくらい喋った。

 

喋れた、って思った。彼女はただ「弥恵に起きてるんだってことがわかるよ」と言って、もう本当に、高校の時と同じようなノリで「わかるよ」って発音するものだから、ただ私は、自分に起きてることを、「あるんだね」って、なんでもないことのように言ってみて欲しかっただけなんだなって思った。私は嬉しい、嬉しいって連呼して、すでに敷かれた居間の布団に潜り込んで寝た。

 

朝、彼女は畑仕事をしていて、私はトイレに行く途中、軒先に昨日の缶が転がったままなのを見た。なんとなく気恥ずかしい朝だったけど、ちゃんと時間が続いているんだと思って、嬉しかった。

 

誰かに聞いてもらえた、そう安心すると、とても集中力が増す。そこから、「あなた」に翻訳して届けていく楽しみが始まる。

 

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