弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

私とあなたの点と線

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一昨年の冬、かつて暮らしていた奈良の山奥の、大好きなイチョウの木のしたで、ある男の人と出会った。

 

私は子供の頃からずっと会話をしていたその木とお話をしながら泣いてた。そういう時は必ずと言っていいほど人が払われるのに、人が来るなんて不思議だなと思って立ち上がった。すると、銀杏が一気に落ちてきた。ポトポト、とかじゃない。ザー!!って感じで一気に降ってきた。びっくりして、彼も私も寺の軒先に避難した。自然と会話が始まって、勘のいい同士によくあるように、手探りしながら、「ああ、似たような人種なんですね」と確認して、いろんなことを話しあった。

 

彼は最近沖縄に帰ってきたシャーマン(現地ではかみんちゅと呼ばれる)だった。その頃、家族のことで心配事があって、色々話していると、ふと「お父さん方からの気の流れがちょっと弱まってるね」と言われた。「お墓参り、行ってる?」と。

 

うちは7歳の頃に離婚して、この村を出て、それから母が再婚した11歳くらいでお参りは止まってる、と言った。「ちょうどその11歳くらいの頃から、自然と、寝る前に感謝のお祈りをするようになったの。ご先祖と仏さんと神様に。それは今もずっとやってるんだけど」というと、「うん、ちゃんとお守りがきてるね。でもお墓参りをしたほうが、もっと気の通りが良くなって、ご先祖様が弥恵ちゃんを守るためのパイプが綺麗になる」と言われた。「離婚しても、弥恵ちゃんはお父さんやご先祖様たちの子供でしょう」と。

 

彼とはそれ以来連絡を取るようになって、夫婦で沖縄にも会いに行き、いまも交流がずっと続いている。

 

私はそれ以来、寝るときのお祈りを、もっとじっくりやってみようと思った。そして不思議と気づいたことが、

 

「父方へ感謝する時は左半身が、母方へ感謝を送る時は右半身が熱くなる」

 

ということだった。そして、よく集中してみると、明らかに左半身の方が、感覚がぼんやりしていることがわかってきた。つまり、気の通りが詰まってる。そしてすぐ納得した。たとえ神社にお参りしても、神仏から先祖を伝って自分自身へ光が降りてくる時、自分のすぐ上にいるご先祖から自分へのパイプが詰まっていると、なかなか降りてこないのでは、ということ。

 

で、最近になってようやく父方のお墓参りにいけた。父方のお墓がわかりにくい場所にあることもあって、説明するのが難しかったらしく、画像やら地図やらを手配してくれていた。少し時間が経ってしまったけど、振り返ると、なるべくしてなったタイミングだった。

 

父方のお墓は福井市にある。福井を訪れるのは、それこそ10歳の頃以来だった。でも国道の空の感じも、すぐに田んぼが始まって、ポツンとお墓が見えてくる感じも、体が全て覚えてた。そしてお墓に刻まれた名字の文字が、光って見えた。

 

どれくらい手を合わせていただろうか。夫に言わせれば随分長かったらしい。それでも私には一瞬だった。心の中で感謝を思い、その熱を相手に届ける。しばらくそれを送り続けた後、彼らに何か言いたいことはないか聞いた。彼らの思いが、胸の真ん中を伝って流れ込んできた。それを全身に行き渡らせ、一つひとつ丁寧に言葉にしていく。私も答える。悲しくもない涙が流れる。熱い想いがブワッと湧いて、全身が炎に包まれたようになる。

 

—歌を歌ってほしい

 

そうふと思いついて、口を開いた。

歌は勝手に出てきた。

 

 

うさぎおいしかの山、小鮒釣りしかの川

夢はいまも巡りて、忘れがたきふるさと

 

 

歌い終わると、ご先祖の体温と自分が均等になった気がした。またくるね、と言って、写真をとった。

 

なんだか気持ちがすっきりして、回転寿司(カワハギが最高でやんした!!)で腹ごしらえをして、新潟を目指して高速に乗った。それから2時間後くらい、なぜかアイスランドの話を夫としていたら、運転中、途端に胸に何か突き上げるものがあった。ステレオからはちょうど、アウスゲイルが流れてた。

 

鼻でじっくり呼吸しながらその痛みを味わって、じわーっと泣いた。いつもみたく吐き出すようにじゃなくて、ちゃんと味わって、解いて、言葉にしていった。確かに、左半身が一気に繋がった感じがした。そして、これまでヴェールに包まれていた自分の命のある部分について、大きな発見があった。不思議なんだけど、「どうして私はこんなにもアイスランド=プリミティブな自然のある場所、に惹かれ続けてるんだろう」という疑問が、ご先祖参りによってときほどかれたのだった。ご先祖参りって、案外にすごいところと繋がってるのだと実感した。私の感覚では、ご先祖を全て辿って行ったら、自然そのものと深く繋がっていく、ってことなんだけど。。。こう書いてもなかなか伝わらないから、この発見は、今書いている物語に生かそうと思います。

 

一部始終をかみんちゅに報告すると、こんな返事がきた。

 

>>

ひとつひとつ

丁寧に向き合って

 

真心でほどき

そして、愛情で結ぶ

>>

 

それは体でわかる、と思った。

どんな相手でも、真心でほどいて、愛情で結ぶ。

 

沖縄での旅行中、ある山の上でお祈りをあげていた、彼のすっとした背中を思い出す。

祈りで覚えたスタンスは、書くことにも家事にだっていかせると思った。

 

彼との出会いや、自分の成り立ちや体質など、あまりコアな素性をブログで書くことにはずっと抵抗があったのだけど、今回のお墓参りのことでは思うことがあり、これを読んでくれた人が、「ああ、お墓参り行こう、真心でほどいて、愛情で結ぼう」と思ってくれたらすごく嬉しい、と思って、書くことにしました。

 

体を持って動くことのできる、自分にしかできないことが、見えない存在との間にはあるのだと思います。

 

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そういえば、うちは母方のお墓も、父方のも、真っ青な田んぼの真ん中にあるんだね