弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

黒潮の記憶

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雨が降った。テントの中で聞く雨の音が好き。すぐそこで、岸壁に打ち付けられる波の音がする。太平洋を一周し、東シナ海の果てからやってきた黒潮は、紀伊半島を沿って北上する。

 

だけど1年半ほど前、黒潮は沖で大蛇行をはじめ、紀伊半島から離岸してしまった。それでカツオが獲れなくなったり、海水が冷えてサンゴが死んだり、それを食べる熱帯魚が一斉に浜に打ち上がったりしたらしい。

詳細:http://www.jamstec.go.jp/aplinfo/kowatch/?p=8296

 

この黒潮は、古代から今まであらゆる人とものを熊野へ運んできた。神武天皇東征。那智で寺を開いたインドの上人、秦の徐福。でもこの海は困難だ。かつてオスマン帝国の時代、トルコの軍艦が難破したとき、串本の人々は彼らを必死で救った。その縁で、串本はトルコとの友好都市であり、トルコでは「日本といえば串本」ってくらい有名らしい。国道ぞいには「タイヨウのカフェ」というトルコ雑貨や料理が揃うお店があるし、紀伊大島の岬には慰霊碑も記念館も、トルコ人らしきおじさんが営む土産屋もあったし、灯台近くの喫茶店には、やはりケバブライスがあった。

 

今日でテント生活も12日目になる。引っ越しは2回した。最近のテントはよくできているし、でかい、快適。テントの中でリビングと寝室がわかれているので、食事も調理も仕事もできるし、寝室はつり下げ式の蚊帳になっていて虫の心配もない。今は寝室でこれを書いている。風がさらに強くなった。テントがまるで呼吸しているみたいに、膨らんだりしぼんだりしてる。風の中に、虫の声が混じってる。昨日まで暑かったけど、やはり降ると冷える。石油ストーブを持ってきてよかった。赤い光が落ち着く。

 

旅が好きなのは、両親のDNAだとずっと思ってた。でもここへきて、熊野にいて、懐かしい場所を無意識に探しているせいなんじゃないかと思った。懐かしさには層がある。生まれてから過ごしてきた場所を振り返って、懐かしく思う気持ち。でももっと奥にも層がある。初めてきた場所なのに、心が安らぐ場所。知らないはずなのに、知ってる身体。

 

串本にちゃんときたのは2回目だった。前にきたときはジョージ朝倉の「溺れるナイフ」が映画になって上映された後で(原作の大ファン)、コウちゃんとナツメのフィルターがかかってたから、ちゃんと全景をみれてなかった。

 

でも今回は違った。まるで石にされた巨人の家族のような橋杭岩を見た途端、なんでか胸が強烈に痛くなった。良いとか悪いとかじゃなくて、ただ身体がひどく感応してる。そんな感じだった。胸の痛みを紐解けば、真ん中から思いがこみ上げる。言葉になれずに涙に変わる。遠い遠い昔に、この海にたどり着いた気がする。きっと、どこかの層に、そういう自分がいたのかもしれない。厳密にはそれは「私」ではなく、私の真ん中で今、ひどく切なく響くものを共有している、誰かだ。

 

昼頃、弘法湯という家族風呂に入った。空海が掘り当てた伝説が残る温泉で、橋杭岩を山手側に続いた、崖っぷちにあった。窓を開けると曇天の空の下で、海がざわめいてた。身体を温めながら何か寒々しいものを見るのは不思議な心地がした。良質な単純温泉で、上がると二人して眠たくなり、テントに帰るとパタンと落ちた。

 

浅い夢を見た。夜眠るときに見る夢と、昼間、いつの間にか寝てしまったときに見る夢は違う。細胞のボイラー音がずっと耳にこもったまま、映像だけが忙しく流れて、自分でも把握しきれないところで、何かが勝手に進んで勝手に終わる。起きると、なんだか宇宙人に勝手に身体をいじられてたような、もはや今朝の自分とは、全く別人にされてしまったような、違和感だけが残って、あとは何も覚えてない。

 

テントを出ると、空は閉じて、雨が強くなっていた。

 

もしこの海から、空から、土からいまの私を見たら、それはどう見えているんだろうか。光なのか影なのか、実態を持たないからこその真実が何か見えているのか。もし、海と空と土に、人間には計り知れない全ての「記憶」が込められているのだとしたら、ほとんどの記憶を昼間失って生きている私のことを、彼らはさみしく思うのだろうか。

 

橋杭岩は私を知ってるのだろうか。だとしたら、あなたはさみしくないのか。自分を、あたかも初めて見る目で見られることが。物珍しさにカメラを向ける人々の中に、あなたがよく知る人がいるのかもしれない。石の持つ記憶は、あらゆる物質の中でも最も古いという。記憶は、ある方がさみしいのかもしれない。

 

たまに、懐かしい人がいる。土地の方がずっと「懐かしい」ことが多いけど、人にもそれを感じることがある。別にそれを口にはしないし、ただ感じるままでいるだけだけど、時々そういう自分が石のように思えてくる。

 

だから私は石が好きなのかもしれない。巨岩だらけのこの熊野が、落ち着くのかもしれない。かといって油断していると、石はこっちの記憶をこじ開けてくる。ならいっそ教えて欲しい。この海は一体、どこに続いているのか。