弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

地に足つけていたいの

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朝の森でヨガを教えてもらったよ



友達はいつも私にないものを持ってる。それでいて私と似たところもある。だから参考になる。よく行く伊勢の洋服屋さんのお姉さんは、いつも明るくて人を巻き込む力があって、物事を進めたり形にしていくときはちゃんと腰を落ち着ける力もあって、なんて言うのかアッパーなのにどしっと地に足がついた人だ。

 

私はいつも360度からいろんな風を微細に感じてる分、そこにばかり気を取られてふわっと着地できない時があるから、いつも地に足つけたくて、自分に向けて批判的になったり、感じたことをいちいち精査して疑うことで、地に足つけた気になろうとするところがある。でも本質的に「地に足つける」って、思考で完結できることじゃない。いくら「地に足つけた考え方」をしてみても、行動や身体が伴わないのであれば、結局は浮いたままだ。そんなことに薄々気づいてきた。つまり、もっと肉体的なことが、いまの私に足りてないのだ。

 

伊勢姉さんは、男の子を一人育てながら洋服屋さんを切り盛りして、有り余るパワーで地域活性化のイベントをどんどんこなし、最近はパートナーと一緒に地元のケーブルテレビで番組まで立ち上げた。アンテナたちまくりでなんでも直感で動く軽やかさを持ちながら、同時に体をどんどん動かして現実に形にしていく。彼女といると、初めはそのあっけらかんとした明るさによって、私の修行僧みたいなノリが一気に立ち上がるのだけど、影響を受けやすい私は次第に彼女のブラジルサンバみたいな爆裂パワーにチューニングされ、「そやな、なんかもう開き直るしかないやんなー」なんて、柔らかな伊勢弁を話すちゃきちゃき姉さんになれる。そんな自分が、自分でも楽で、いつも助かっているのだった。

 

先日は東京からヨガティーチャーの友達が遊びにきてくれた。なんでも伊賀忍者甲賀忍者の合いの子を祖先に持つ彼女、敬愛を込めてここではくノ一ちゃんと呼ぶことにする。数年前までは渋谷の某CA社でガリガリ働いていて、いろんな段階を経て今ではヨガクラスを掛け持つ人気のヨギーニになった。ヨガ歴は長く、忙しい会社員の気持ちが誰よりわかる分、実利性の高さが評判を呼ぶ。

 

くノ一ちゃんは私の家に遊びに来たと思うと、即座に私の身体に触れ、「ちょっとヨガしよう」と私を誘った。「ちょっと」って、昼まで東京でヨガクラスをこなして、京都まで移動して、やっと着いたところでなんだその体力は。一方私は、このところめっきり運動不足で、思ってた以上に体が動かない。「弥恵ちゃんもっと身体動くよ、そうそう」と優しくアシストしてくれるときの声はまるでシスターかナースのように優しいのだけど、自分のヨガビジョンを語り出すと、研ぎ澄まされた僧侶のような顔になるので、今、彼女が忍者DNAのポテンシャルを引っさげながら、ヨガを通していろんな自分を統合している真っ最中にいることが伺えてくる。私は私で、恐ろしく身体の力が抜けないらしい。実際寝つきも悪いし、朝は息が浅くなって起きることもしょっちゅうだった。なんと言うか、外界のあらゆる刺激から身を守るようにして、芯まで凝り固まってしまっているみたい。

 

翌朝、森の中でヨガをした。グラマラスな彼女の身体に光が指すと、まるで女神みたいだと素直に思った。今、この人からたくさんのものを学べるような予感がして、教えられるままヨガのポーズをとる。上半身をだらんを屈伸し、かつ下半身でしっかり身体を支える、一見矛盾した注文に体で応えてみると、不意に「全身を柔らかに開きながら、かつ芯を通して立つ」、つまり体も心も開きながら、しっかり地に足をつけることを、身体でもって理解した瞬間があって、「わあこれだあ」と感動してしまった。

 

そもそもくノ一ちゃんは、幼い頃バレエをやっていたそうで、普段から姿勢がいい。助手席にすっと乗ってきても、ゆりが咲いたように品がある。敷いた布団はきちんと畳み、自分の荷物を一角にまとめ、所作にも無駄がない。琵琶湖を望むレストランでご飯を食べながら、普段の自炊メニューをあれこれ教えてくれる。そういえば多忙な社会人時代でも、彼女の部屋は綺麗に片付けされていたし、当時から自炊をしていたという。わたしゃとてもそんな体力はなかった。

 

私に足りないのはいつも当たり前のことをちゃんとやることで、結婚してから数年、人並みには家事をしたり、食事を作れるようになったりしたけど、今はもう一段レベルアップしないといけない時期がきたみたいだ。旅をすればするほど勘はよくなるが、それを支える身体と日常、つまり土台がグラグラだと、「ただ勘のいい人」だけで終わってしまう。そうではなくて、自分にも人にも貢献していくためには、今以上に身体を鍛えること、物語を丁寧に書くように、皿を丁寧に洗うこと、手に触れるものに分け隔てなく、自分を注ぎ込むことをしていきたいのだと思った。

 

友達は、今自分に足りないものを、ただそこにいるだけで教えてくれる。それでいて、私もまた、ただここにいるだけで、きっと何かを伝えているのだろう。