弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

翡翠色の湖 in台湾

台湾で地震があったと聞いて、ニュースをつけたらつい先日見たばかりの景色が流れた。いろいろな顔が浮かぶ。6日間の旅の中で、何人もの台湾人の人たちと触れ合った。夜の寺をウロウロしていたら、「ここを探してるんだろう!」となぜだかトイレに案内してくれたおじちゃん、新幹線の駅を、「これをタクシーで見せて」とメモしてくれたホテルのおねえさん、日本語が堪能で、お茶を淹れる仕草が素敵だったお姉さんは「声が美しいですね」って言ったらはにかんでた。どの顔も、私と変わらないような気がした。毎回、迷いなく台語で話しかけられた。

 

台北は、これまで訪れたアジアの都市とはちょっと違う、バンコクとも上海ともホーチミンとも、何か、流れている空気が違った。南国の湿度がビルの谷間にこもるせいか、ガジュマルの木が力強く根をはる土地だからか。油とニンニクの匂いにまみれた夜市で名前もよくわからない食べ物をたらふく食べ、母と写真を撮り合い、疲れてくるとおきまりのように喧嘩をした。そんな親子喧嘩すら、すぐさまたった一枚の写真に圧縮されてしまいそうなほど、緩やかな闇を纏った、都市の夜だった。

 

それでもここについてからずっと、あらゆる香りによって懐かしさと切なさが振り子のように体内を行き交うので、私はちょっと普通でいられていなかったのかもしれない。

 

極め付けは「新純香」でお茶を試飲した時だ。金宣茶というお茶の香りを、勧められるまま鼻につけた瞬間、あろうことか涙がこぼれた。あまりにも懐かしい香りだった! 「はたから見れば完全に情緒不安定ジャーン」とか内心突っ込みつつも、いま思い出してもあのお茶の香りによって、心の奥にほったらかしにしてた記憶のようなものがぐいっと掘り起こされた気がしてならない。

 

日月潭は、台湾のへそと呼ばれる巨大な湖のある場所で、台北から新幹線と高速バスを合わせて2時間半ほど。新幹線からは広大な田んぼが見えて、ところどころに赤いお寺のような建物があった。台中からバスで山奥へ分け入っていくと、まるで大地を2分するような崖が両脇に立ち並び、その先をしばらくいくと日月村に着く。

 

バスを降りたら小雨が降っていて、むせかえるような花の香りがした。金木犀を、もっとスッキリさせたような香り。標高は600ほどある、高山帯だ。いまでも高山民族が暮らしているらしく、しっかり観光地化もされているけれど、自然どころによくあるように、人も木々も鳥たちも、等しく山の腹の中に収まっていた。

 

香りによって、心地よさとともに襲ってくる強烈な懐かしさはなんなのだろう? 日月潭の湖は、片側を月、もう片方を太陽に見立て、その真ん中に聖地とされる「ラルー島」が今も浮かんでいる。元は原住民族が神を下ろした島だが、日本統治時代には市杵島姫を祀っていたらしい。あたりをぐるっと山が囲む。山並みを見れば、ここが諏訪湖とも思えなくないほど、山岳地帯だ。なのに、香りは南の島の、花の香り。長野にいるのに香りが沖縄みたいな。

 

フェリーに乗っても、ホテルについても、心がずっとざわざわしていた。きっとこの香りのせいだ。泣きたくなった。バスタブにお湯を勢いよく入れて全身を漬け込んだ。いつもこう。何かが思い出せそうで、思い出しきれないとき、途方も無い寂しさが襲ってくる。これを言葉で説明できたらどんなにか楽か? 旅でふと、いつもこんな気持ちになる。

 

夕食を食べ、母が寝静まった後、花の香りを突き止めようと、一人、村を歩いた。山際から野良犬の鳴き声がして背筋がぞくっとした。引き返して湖畔を歩いた。ウッドデッキの歩道は、足元だけライトアップされている。花の香りが一層強くなる。あたりは真っ暗だった。時折、湖で魚が跳ねる音がする。

 

しばらく歩くと、真っ白な百合のような花が咲く一帯を見つけた。俯いた顔で、5角形の花びらを開かせていた。月下美人に似ているが、見たことのない花だった。ここから香りがしてきていたのかと思うと、途端に呼吸が深くなった。私の体は納得したように、ぐったりと眠くなる。見えないでいた姿形がはっきり見えると、言葉にできた時と同じくらい安心する。

 

翌朝は驚くほどの快晴で、湖の色が翡翠に輝いていた。大好きな色。昨夜の花を見せようと母を連れ出した。歩けど歩けど香りがしないので首を傾げていたら、花は閉じていた。

 

翌朝から、三蔵法師が祀られる「玄奘寺」や、ラルー島、そして「文武廟」という孔子関羽が祀られる寺を巡った。次のホテルは「龍鳳寺」のすぐそばだった。いずれの場所でも色々あって(ありすぎて)、どれもこれも書ききれないことばかりだけど、人々が祈る熱心な姿と、そこに肩を並べ祈ること、その景色に癒されている自分と母、花と紛う桃色の線香の香り、あらゆるものに刺激されて、いろんなことを思い出した。

 

懐かしい花の香りをたどればそこには必ず、見たこともない花が静かに咲いているように。翌朝には閉じてしまう花が、夜に私を誘ったように。蘇る思い出はどれも、母を通して上映された。やがて涙が止むころ、初めてのセックスみたいな痛みを全身に走らせて、また私と一つになった。乗り越えてしまえばもうなんてことない。そこも似てる。

 

自分が変わっていくことも、更新していくことも、もはや痛みなしに通過できないんだなあってことはわかる。

 

。。。でもさ、ちょっといいかな? この「思い出すまでのざわざわ」ってもっとこう、キャピッといかんものかね? ベリーダンスを「いえあ!」って踊り狂ってたら思い出しちゃった〜!みたいなアッパーさの中で、こうふっと気付けたりしないものかね? でもこれが私ってものなのか? おい? この文章だって毎回なんでこう修行僧で禅問答みたいなのカナ!? 読んでくれてる人、そろそろ「毎回暑苦しいよ弥恵ちん」とか思ってんじゃねえかなってそろそろ思ってしまうよ。でも芸風ってこう変えられないものなんだナ?

 

あー、このブログ、たまには「台湾でこんな可愛いの買ったの!」とかキャピッと書くつもりが(いやほんと、戦利品を見て欲しい気持ちでいっぱいなの、迪化街で買ったカゴバックとか日月潭にしかない紅茶とかさあ!)どうしてかこう情緒の方に振れてしまった。こんな日もあるのね。でもブログ書く時っていつもこうかも。初めて紹興酒を飲んで頭おかしくなったこととか、最終日に一番安い部屋にしてたのに幸運にもスイートにグレード上げてもらえたハッピーとか書こうと思ってたのに!

 

もうそこは写真の力に頼ろうと思う。てな訳でどーん

 

台北市

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新純香でお茶を試飲中

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日月潭

 

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あ、そうか今日、満月か。