弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

出会いが「答えあわせ」になるとき

京都に来て1年経った。ここで迎える二度目の誕生日。33歳になりました。私の身体と付き合って33年。色々ありました。私の身体は時々わからなくて、初めてみる海なのに、山並みなのに、歓喜するほど懐かしくて涙がでる、そんなことがよくあります。来た覚えもないのに、どうしてこんなにも愛おしいのだろうと。私の身体は、旅先で何度も感応して、私の身体である私は、その度に呆然と「私ってなんなんだろう」と思いました。

 

ちょっと前に沖縄を旅しました。現地にいる友人(つっても会うのは二度目)に案内されて、総勢9名での団体旅行(!)。ただでさえ団体行動が苦手な自分には、これまでならありえない挑戦だったのだけど、友人と、私と夫以外の7人の女性たちは、ほとんどが沖縄の女性で、全員初対面で、なのにどういうわけか、懐かしい感じのする人たちでした。

 

いくつかの離島を旅しました。山に登ったり海で遊んだり、砂浜や原っぱでゴロンと昼寝をしたり、名所で写真を取り合ったり、現地の信仰である御嶽を拝んだり。彼女らは、私のことを「やーえ」とか「やえー」と呼びました。そういえば沖縄には八重のつく地名が多いんですよね。八重山諸島とか。私は「やーえ」と呼ばれるたび、なんでか泣きたい気持ちになって、自分の身体の中に、わけのわからないものがあると思いました。

 

そもそも、私は何度も一人で、時には夫と、沖縄にきてる。本島やその周辺の離島をはじめ、石垣島宮古島西表島。あのときもずっと、自分の身体の中にあるわけのわからなさを知りたかった。同時に、自分で名前をつけないといけないと、本能から思っていた。例えば専門家みたいな誰かに「それはこういう名前のものです」と言われたら、一旦は落ち着いてしまうけど、それは同時に、その名前をつけてくれた人、またその名前そのものに、自分を差し出す行為になると思った。

 

だから、心ときめく場所を旅し続けていたら、きっと答えがわかると思った。その答えを、これまでたくさんの場所で見つけてきた。屋久島にいた私、熊野にも伊勢にいる私、京都で見た私、新潟の私、東京の私。でもずっと心にあったのは沖縄だった。沖縄に行けば、わかると思った。同じ身体の人たちは、沖縄にいると思ってた。なんでそう思ったんだろう。よくわからない。折口信夫とか、数々の民俗学者がどうしても沖縄を無視できなかったことと、似ている気がする。

 

彼女たちは、少しずつ私と似ていた。出会った一人一人の中に私がいた。みんな先生だったりヘアメイクアーティストだったり美容整体師だったり、レストランを運営していたりカウンセラーだったりと、普段は元気に仕事をしている人たちで、それでいて自分と、自分の身体と、そこにある「わけのわからなさ」と、向き合い続けて来た人ばかりだった。だからベッドに入るとおしゃべりが止まらない。

 

そのうちの一人の女性は、4児の母で、絵を描くアーティストだった。「自然と絵を描くようになって。幼い頃からの自分が癒されていくの」という彼女は助手席から振り返ると、ポストカードを数枚差し出した。まるで母親が、我が子を愛で包み込むような温かな絵だった。まじまじ見ていると「でも、長い間自分を癒し続けてたら、だんだんとインスピレーションみたいなものが湧いてくるようになって、ちょっとずつ絵も変わっていったの」と言う。私は思わず顔をあげた。

 

「私も、この1年くらいずっと小説を書いてたの。書けば書くほど、これは自分を癒しているんだってわかった。そして癒すことって自分と向き合い続けることだって思ったの。だからすごくしんどくて、でも逃げられないんだなって、自分なりに続けてきた。でもある時期から、ある地点まで癒されるようになったら、今度は映像みたいなものが見えるようになったの。それでいまは、これまでと全く別の物語を書いてる」

 

わかるわかる、と彼女は笑った。「でも私はまだまだ癒してる。どっちも行き来してる感じ」と私が言うと、「だんだん変わってくるよ」と言う。「表現をすることで自分を深く癒すことが、きっと見てくれる人を癒すことになるんだよね。それでいて、ずっとそこにいるわけでもない。その先の道があるんだね」

 

彼女はその先の道を歩いているんだなと思った。窓から入る西日が、赤茶けたウェーブの髪を透かしていた。腕に抱かれた息子くんのほっぺたが、こぼれてしまいそうに膨らんでる。そんな彼女に「私とやーえは似てるね!」と言われたことがすごく嬉しかった。33年間、自分の身体と向き合ってきた答えを、ようやく最近になって、掴めてきました。今もまだ、「よくわからないもの」の名前をつけないままでいるけど、やっとわかりかけてきたことがある。

 

懐かしい場所で起こる、出会いそのものが、答えあわせになることがあるんだと。そしてこの旅には終わりがないんだってこと。

 

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みんな砂浜で昼寝