レイキャビクの中心街へきた。どこもまだ店は開いてない。路肩がパーキングになっているので車を停め、降りた。海が近いせいか、風が強い。気温は、最低でもマイナス5度ほどしかいかず、北極圏が近いわりに北海道や実家の新潟ほども寒くはない。しかし叩きつけるような海風によって、体感温度がグッと下がる。着ぶくれた夫の頰がぷっくりと、腫れたように赤くなっている。
オンライン会議だという夫はスマホを片手に何処かへ消えたので、私とスコットは街歩き。途中、黄色いカフェを見つけた。オープン時間ではあるが、まだ清掃中らしい。トイレが我慢できないと、スコットは「hey」といって中へ入っていく。私はスコットを待ちながら、ポケットに手を突っ込み、隣の店のウインドウに貼りたくられた写真を眺めた。天井からは、無数のライカがぶら下がっている。
モノクロの写真には、窓越しにベロをだす少年や、農場に置かれた白い牧草ロール(北海道でもよく見る)にアートが描かれたものなど、アイスランドの景色の中に毒と茶目っ気が散りばめられたような作品といった感じ。そういえば、見渡すとシュールなストリートアートが散見される。他の北欧もこんな感じだろうか? 街並みは美しく、品よく可愛らしくまとまっているけれど、ふと目につくのは若者のナイーブな内面が炸裂したような、毒っ気のあるストリートアートなのだった。
カフェから出てきたスコットは、「すごい、トイレを貸してくれたお礼のつもりでコーヒー一杯くらい飲むよと言ったのに、トイレくらいいいよって言われました。昨日から思うんですが、みんな余裕があって親切ですね。アイスランドではオープン時間に店員がきて、やっと準備を始めるそうです。これだけ朝が遅いから、みんなスローなんですね」と感心したように話していた。見た目には、可愛らしい雑貨が立ち並ぶ御伽話のようなカフェなのに、「トイレだけ全てスターウォーズ、ダース・ベイダーで埋め尽くされてるんです。びっくりしました。彼は最新作については首を横に振ってましたけど」という。
街は、丘の上にある教会広場を中心にして、どの道も広場に辿り着くように作られていた。私もスコットも、坂を登るようにして歩いた。とはいえまだ暗く、店には人気がない。「アイスランドウエア」という、空港にもあったお土産屋を見つけると、小道から何かミルクティー色の物体が出てきた。猫だった。毛の長い猫が、店の前でウロウロしたかと思うと、つぶらな瞳をじっと向けて、扉が開くのを待っている。およそこの世で見たことのない美しい猫。
さらに坂を登ると、教会前の広場に出た。教会の向こう、地平から黄金に染まり始め、夜はどんどん真上に押しやられている。教会はまだ開いてなかった。近づくと、まるで地上に突き出したナイフのような形状のせいだろうか、それは教会というより、私の感性にはどうしても、摩天楼のように訴えるものがあった。振り返ると、元来た道を曲がったところに「ロキ」というカフェがあり、あかりが灯っている。流石に冷えてきたので、そのカフェに入ることにした。ホットチョコレートを頼み、私とスコットは自然と、日が昇る教会を眺めることになった。キリスト教ルター派の「ハットルグリムス教会」だ。
「教会の向こうから朝日か。つまり街の人々は、後光のさしたあの教会を毎朝見ることになるのね。何か訴えるものが強い景色だよね」。ホットチョコレートは、甘さとほろ苦さの塩梅が最高で、とても気に入った。「私、来る前にアイスランドの宗教についてちょっと調べてたんだけどね。アイスランドって、元はバイキングが持ってきた北欧神話だったり、土地の民間神話が信仰される場所だったの。つまり日本と同じ多神教だった。そこにちょうど1000年前、キリスト教が入ってきて、国は、異教を推進する人、反対する人で分かれたのだって」
スコットは教会を見やりながら、「へえ」と相槌を打った。
「国民がもめているうちに、二つの火山が噴火した。それを見て反対派の人は、《神々が怒っているのだ》と言った。すると異教推進派の人々は、《では、アイスランドに人が暮らす前までは、一体火山の噴火によって、神は誰に怒っていたのか》と言い、反対派の人たちは何もいえなくなった。やがて、キリスト教はこの国の国教になったのだって。一説には、戦争を回避するために、異教を受け入れたっていう人もいる」
教会からは、どんどん日が昇って、空は白く黄金に光り出した。
「そう言われると、丘の上にあって後光が指すように建てられている教会って、なんだか権威的にも見えますね」とスコット。私は、目と鼻の先にいる神様が気を悪くしないだろうかと気になって「まあ、こんなすぐそばで悪口言っちゃいけないよね」と、自分が振ったくせにそう切り返した。そうだ、この建物や神様は何も悪くない。教会は、背中から光を受け、真っ黒く鋭い影になった。
私たちは今、信仰が変わった日から1000年後のアイスランドを旅している。
私は気難しい話をしているのかな、とふと思ってスコットを見た。でも彼が真剣に聞いてくれるので、つい饒舌になってしまう。「私はさ、今ある信仰や、神様や、それを信仰する人々そのものをなんら批判したいとかじゃない。当然。そんな権利全くない」だけど、一体何がざわつくのだろう。「私は、祈る人の姿は、それが何を対象にしたものでも侵されるべきではないものだと思う。祈る人の横顔ほど美しいものはないと思う。それは、過去の信仰もいまの信仰も、それぞれを信じる人は、守られるべきだと思う」そこまで気持ちを追って、やっと違和感の根っこがわかった。
「私はそういう、祈る人の心を侵す力が、どうしても嫌なんだよね。人を征服するために、信じるべきものを強制して、信じてきたものを取り上げる力が。これは姿形を変えてずっとある。どこの宗教や神様の問題でもない、それを利用して、人が信じる心を侵す力があるのを思うと、すごく腹がたつの」
むわっとした熱が、腹の底から上がって来て、うっかり泣きそうになった。ふう、と息をついて、カップに口をつけた。チョコレートが、突然毛羽立った神経を鈍らせる。そして大事なことを思い出した。
「ただ、近年になって2008年の金融危機を経験したあたりから、昔の信仰に戻ろうとする人が少しずつ増えてるって、ある記事(※)には書いてあった。まあ、そもそも信仰を持たない人も、多いらしいんだけどね」。
もしかしたら、祈る人の聖域を侵す力、人を征服しようとする力は、時代を経て1000年後、力が弱まっているのだろうか。それとも、何か別の力が強くなっているのか。そんなことを考えているうちに、だんだんとぼうっとしてきた。少しの間を持て余していると、ビデオ会議を終えた夫が店に入ってきた。私は入れ違いにトイレにたった。
席に戻ると、何やらテーブルに人だかりができている。なぜか私が座っていた席に、店の飼い猫がちゃっかり座っているのだ。私は思わず、「ねえ、そこどいてくれる、ニャア。その人は私の夫なの」と目を合わせていうと、猫は「ニャア」と返事をした。一向にどく気配はなく、他の客がカメラを持ってどんどん寄ってくる。夫が猫の背を撫でると、猫は気持ち良さそうに目をつむった。
太陽は、教会のてっぺんに近づいていた。10時をすぎて、やっと朝らしい景色になってきた。
参考:ビヨークの国で蘇る「北欧神話」信仰
https://courrier.jp/news/archives/232/