弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

ハクはどこに帰るのか

夫が何やらテーブルと椅子を動かしているので目をやると、「なんかジブリ見たいねん」と言いながらMY劇場をリビングに作っている。付き合いたての頃ジブリで働いていた夫は、何気無く入った店で「となりのトトロ」が流れているだけでさっと出て行ったりしていた。自分からすすんで見ようとするのは、転職してからのことだった。それから度々、夫がジブリ作品を見るのは、すごく落ち込んだときか、すごく気分がいい時のいずれか。この日は後者だった。

 

千と千尋の神隠しを見た。終始夫はニヤニヤしながら、嬉しさが止まらないというように、まるで子供のように夢中で「すげえ」を繰り返した。何度も見た作品を、初めて見るような目だった。つられた私も、ページをめくる手を止めて、途中から見入った。

 

そういえば千と千尋は神様の話だったと気づいた。前はもっとぼんやり観ていた気がするのに、ハクが登場してからずっと、彼にばかり気が入った。白袴に締め付けられるようにして、甘い香りが漏れている。そういえば神様には、香りがあると思う。

 

ハクの視点でこの物語を改めて観た時、なんともいえない悲しさがあった。この物語は水の物語だった。湯屋、その周りを囲う、湖のような海(あの海には、ポニョのような塩辛さを感じない。透明すぎる水の中で魚が生きられないというような、極めて純水に近いような気がする)。

湯屋で扱うのは「薬湯」といった、釜じいが必死こいて沸かしたお湯に薬草を入れて作るもので、少なくとも源泉掛け流しの温泉ではない。よってあの周りを囲う水を沸かして、神々の疲れを癒しているのだろう。となると、海水で沸かしたお湯に薬草というのは変な感じがする。やはりあの海は、生命の気配がない。

 

日本で龍といえば、水を司るもの。龍神を祀る神社は大抵、水の豊富な場所にある。ハクはもともと、川の神様だった。「千尋が私に落ちてきた」という口ぶりからもわかるように、川の神とは、その周りを見張るようにして佇む守衛ではなく、川そのものなのだ。つまり原始のもの。川は神様そのもの。ニギハヤミコハクヌシ、彼は川の主だった。

 

千尋が溺れた川はハクだった。しかし、ハクはマンションに埋められた。神様をさして「死ぬ」といっていいかわからないが、そう感じるのは「神は万能である」という西洋の刷り込みによる発想の気もする。神様は決して万能ではない。コンクリで埋められれば神は死ぬのだ。

 

やがて身体をなくしたハクは、湯婆婆のもと、つまり魔女のもとに弟子入りする。神様だったものが、魔力を手に入れるという動機はなんなのだろう。そこに思いを馳せると、とんでもない憎しみや恨みが見える。「もののけ姫」で、山の守り神である巨大なイノシシは祟り神になった。ハクは祟り神にはならず、魔の力を手に入れようとした。そして代わりに神の名前を取り上げられ、帰る道を忘れてしまう。

 

名前は祈りであり呪いでもある。その両方の力に引き裂かれ、また融合するのを繰り返して人は生きる。名前を取られるということは、そのどちらもの力を失うということだ。一方で、ある種の師弟関係において、本質はそういうものだと想像する。名前を差し出し、名前を支配させ、代わりに師匠の力がコピーされる。やがて魔力を手に入れる。憎しみの隙間から、悲しみのほつれから溢れ出す力は、魔力を太らせる。一見、物事は面白いように進む。しかしその背景にある力は自分自身を食っていく。

 

それにしても、川の神様が西洋風の魔女に弟子入りするって、奇妙だよなあ。あの湯屋といい、不思議な和洋折衷。いや、あれは折衷ではないのか? 凪いだ水に浮かぶようにして立つ湯屋千尋によって身体中のゴミやヘドロを洗われた川のじいちゃん神さまは、「あははははは」とにこやかに空を駆け巡り、どこへ帰るのだろうか。あの場に集まる神様は、本当に帰る場所があるのか。

 

ハクは、かつて助けた人間の女の子によって、名前を取り戻す。千尋は豚になった両親を救い出し、トンネルをくぐって元いた世界へ帰る。ただし映画が終わってもざわざわとした余韻が残るのは、あの後ハクがどうなるのかを考えずにはいられないからだ。だって彼には帰る場所がない。帰る場所をなくした神様はどこへ行くのか?

 

今目の前に、鴨川という京都の一級河川が流れる。私がいるのは五条のあたりで、かすかに生臭い香りが上がってくる。この香りは、当然川上に行くほど感じなくなる。かと言って川上では無味無臭というわけでもない。なんとも白い匂いがする。上賀茂神社の大きな鳥居をくぐって、真っ白な参道を歩く時、地面から立ち昇るひんやりした匂い。あれと似たようなもの。

 

祟り神になった山の主は、やがてたどり着いた蝦夷の地で、その土地の大巫女によって祀られる。ではハクだった川を埋め立てる時、彼に神社はあっただろうか。彼の身体を奪うかわりに、せめてもの慰めに、彼を祀る神社はあったのか。

 

帰る場所も、祀られる場所もなくした神は、この世界にどれほどいるだろう。ふとした景色に、どうしようもなく手を合わせてしまいたくなるのは、なにがしかによる引力かもしれない。ハクのその後を、あれからずっと考える。

 

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前に登った山(奈良の大峰)を描いたやつ