弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

登山は引きこもってキスしてるみたいなもん

このところ、大河ドラマの「太平記」に夢中。1991年に放送されてたもので、主演が若き日の真田広之足利尊氏)、あと宮沢りえとかショーケンとか、武田鉄矢楠木正成)とか、今見るととても豪華。

なんで太平記か? 京都に住んでみて、改めて見えてくる奈良・吉野という個人的にも縁の深い土地があって、その歴史を勉強したいなあ、と思った時に真っ先に浮かんだのが南北朝時代だったのでした。

 

こういうのって一度思いつくと止まらなくて、いつだったか京丹後・籠神社の宮司さんが「ここは吉野と縁が深いんですよ。南朝に組したのでね」と言っていたのを思い出したり、天龍寺に行ったとき、ものすごいピリッとした冷たい風に刺されて振り返ったら後醍醐天皇の仏像と目が合ったり、十津川村の玉置姓について調べてたらやっぱり南北朝戦争に行き着いたり。

 

日本史の授業は好きだったけど片っ端から忘れてるので、大河ドラマをいちげんさん気分で楽しんでるんだけど、これが歴史ドラマの悲しいところで、ついこないだ漫喫で「天智と天武」って漫画読んでいたらですね、巻末の作者と原案者・梅原猛氏の鼎談の中で、古代の怨霊信仰について触れられてて。

そこでさらっと「例えば足利に破れた後醍醐天皇を祀る天龍寺とかね」ってもうたとえ話の中ですっごい楽しみにしてた太平記のオチにぶつかっちゃったりして、貰い事故みたいな気分になるんだよな。でもそれを夫に言うと「大河ってオチ(歴史)を知った上で楽しむもんだけどなあ。というかそこはオチですらないよ」とか言われるんだけどね、いや私はコッテリ忘れてるからこそ、こんな夢中で楽しんでるのだよ。

 

ああ、こんなことが書きたいんじゃなかった。いや上記の中で大事なのは南北朝どうこうじゃなくて、「真田広之」なんだよね。というのも幼少期、初めて好きになった俳優が真田広之で、それ以来、彼以外にまともに好きになった人がいないくらい、唯一無二の人なのでした。月桂冠のCMで、安全地帯の歌をバックに、なぜかスーツ着た彼が一升瓶ぶらぶらしながら伏見稲荷やら京都の街を散歩してて、「日本の赤は、まぶたに熱い」とか言ってキュッと一口飲むんだ、もうその全てが、かっこよくて、昨晩久しぶりにYOUTUBEでそれをみてたら「うっわ」って声がでた。かっこよくて。(あと冬の焼きタラバと夏のハモね。じゅるり)

 

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だけどその動画を繰り返しみてたら、大人になった今やっと、なんで真田広之にぐっときたのかがわかっちゃって、「うっわ」って声が出た。なんていうか彼の顔はすごく懐かしい。お父さんに似てるんだな。それも単に顔がお父さんに似てるんじゃなくて、目元のあたりの動きとか、喋り方とかが、なんか似てる。表情筋の動かし方というか。今だって父のそれを覚えているわけじゃないのに、やっぱりみていて妙に懐かしい。

 

そういうわけもなく懐かしい気持ちが、幼い日の恋心だったんだなと、思わず膝を打ったのだった。

 

そう思うと、私は人に惹かれる感情の80パーセントが、わけもなく懐かしい、だな、とちょっと思った。夫と初めて出会った時は200パーセント懐かしかったし、思い浮かべる友達も大事な人たちも、多かれ少なかれ懐かしさがある。それは物理的な時間の制約、つまり過去に縛られた懐かしさじゃなくて、前世みたいな概念とも違くて、もっと、気を許したくなってしまうもの。

 

そういうホッとするような切ないような心地の中から、話したいなあ声聞きたいなあ、触れたいなあキスしたいなセックスしたいな、って気持ちがあわボコみたいに湧いてくる。こないだすれ違いざまの会話の中で「弥恵ちゃんは登山も旅も好きだし、開けてるよね」みたいなことを言われたんだけど、思わずそれは誤解だと訂正した。

私にとっちゃ登山も旅も、かなり閉じた行為なんだよなあ。アウトドアな感じが健康的なり社交的なりに映るようなんだけど、アウトドアを社交にしたい気持ちが毛頭なくて、むしろ景色に溶けたいじゃん、だからすごく引きこもってるし、なんていうのか、キスってすごい個人的な秘めたる行為じゃん。山登るのってそういうもんじゃないのけ。

 

引きこもって溶けちゃってたい、みたいなのって、懐かしさの中にキスしたい気持ちが湧いてくるのとすごく近いものがあるんだけど、これがあんま伝わんない。

ただ厳密には、真田広之の目元に父を見るのは、父の向こうにあるもっと懐かしいものを見てる気がしていて。それはもはや父ではないっていう。もう何? この手の懐かしさ? っていうのを、必死に手繰り寄せている昨今です。