弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

京都と東京の時差のはざまで

京都に移住する前からよく通っていた鴨川沿いのカフェで、いまもよく仕事をしたり、創作をしたりする。テラスではないけど、大きな窓が解放されているおかげで風が心地いい。何よりBGMが、流れる水のような美しいピアノで、自然とお客さん同士の会話も優しく、静かになる。その傍で文章を書くのが、ちょうどいい。自宅からは自転車でも30分以上かかるので、ちょっとした気分転換にもなる。

 

今週ここにくるのは3度目。実は3月末に引っ越してきてから、まだ美容室を見つけられていない。そうこうしているうちに東京での用事ができたので、伸びっぱなしの前髪をターバンでまとめている。出で立ちが特徴的なせいか、ついに今日、「いつもきてくれますよね」と、可愛い女性の店員さんから声をかけられた。「ここ、大好きです」というと笑っておった。

 

週一で買いに行くパン屋がある。住宅街の中、町家を改装したこじんまりしたパン屋さんで、天然酵母のドイツパン、とりわけイチジクとクルミのパンがおいしい。そこのご主人は、京都在住歴が長いはずだけど敬語だとほとんど標準語に近い発音で、時々本当にドイツ人かもと思うほど、繊細な神経を持った職人、という風情がある。

 

初めに通っていた頃は、ちょっとぶっきらぼうな印象があった。ガーッとパンについて説明すると、奥へ引っ込んでしまう。それがよりプロな感じがして、新鮮な感動があった。そのご主人も、3ヶ月たった今は、「いつもどうも」とにこやかに笑ってくれる。初めは、今日は何かいいことがあったのかなと思った。数回続いて、いつもくるお客さんに見せる顔なのだと気づいた。

 

移住してから3ヶ月。興奮も感動も多く、緊張も多い。来週、用事で東京に行くのだけど、久しぶりに、お世話になっている一家とご飯をいただく。渋谷区に住んでいた頃、家族のように親戚のように、一緒に過ごした人たち。「京都、どう?」と聞かれた時、どんな風に話そうか、脳内で自然とシュミレーションが始まる。私が東京を離れる上で一番辛かったのが、この家族と離れることだった。

 

「久しぶりの夕飯会、何が食べたい?」と奥さんからメールがきた。三択あるうち、どれもご馳走。そのメニューにも、濃い思い出がある。夫と迷いながら、「すき焼き!」と答えた。そこんちのすき焼き用の、あの鉄製の鍋まで思い出せる。立ち上る湯気とか、いつも目の前に座って、いじわるな顔で肉を先にとる敏夫さんのしたり顔とか、ご飯をよそってくれるのりこさんの笑顔とか。今回の夕食会は、私と夫と、ご夫婦との4人。

 

これまで20回以上引っ越しを経験してきたけど、今回の「間」はなんだか長い。大人になったからか、ゆうても東京での生活が長かったからか。自分の居場所を心底心地いいと思えるまで、街の中に心のおきどころが見つかるまで、時間はかかる。いや、時間に任せてしまえばいい。頭ではわかっていて、だけど身体が、新天地へと移行していく間、非現実的な新幹線の速さでここに到着した、置いてけぼりになった現実の間が埋まるまで、浮遊感は続く。時差がある。

 

「いつもどうも」と笑いかけられたり挨拶したりする、それを幾億も重ねて、スタンプラリーのように居場所が増えていく。そうやって進んでいく京都での、新しい時間。それを下支えしてくれるのは、多分ずっと、東京のあのマンションの一室で、家族みたいにご飯を食べる、温かな時間なんだなと思った。