弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

霧雨の鞍馬寺

のんびりしているはずで、振り返ると慌ただしいようなこのところ。

伊勢と熊野で3泊して、帰って今度は東京からの友達・クノイチが2泊で泊まりに。夫は入れ違いで出張。なんだかんだ今月は3組も、友達が遊びに来てくれた。気づけばあっというまに6月になる。昨日始まった満月は、明日の朝には欠けるらしい。1日1日が濃厚で充実してる分、なんだかあっというまに季節が変わってる。新緑の季節が一番好きかもしれない。って、なんだかんだいつもそんなこと言ってるかもしれない。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA 今日は下鴨神社でクノイチを見送った後、1人で鞍馬寺へ行ってきた。ほとんど登山だった。おにぎりを買いに喫茶店に入ったら、フランス人の女の子と目があって立ち話。日本語が上手。昨晩のウエサク祭に参加したらしく、感想を教えてくれた。みんなでキャンドルを持って、お祈りした、とても気持ちがよかった。これから登るならぜひケーブルカーを使わずに。神社がたくさんあるの。私は歩くのが好きなの。私も好き。

小雨から霧になった。歩き出したら止まらなくなって、あっという間に本堂にたどり着いて、奥の院へ向かう。山中に、どこからか祈りを捧げる声がする。みるとお不動さんの前でお坊さんが祝詞を唱えている。え?でもなんでお坊さんが天照とかアメノミナカヌシとか言ってるんだろう?

これ以上近づいてもいいものか躊躇してると、お坊さんが柔らかな京都弁で笑いかけてくる。この時間、あんまり人がこないもんでね。ああ、いえ、綺麗なお声ですね。聞けば真言宗のお坊さんだった。真言宗って、神さんにも仏さんにもお祈りするんですよ、区別しないんです。ああ、それでかけまくもかしこき。はい、だけど般若心経も言いますね。どうぞ続けてください、ああ、それでは。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA 私がお参りしている間、祝詞が続く。一瞬、涙腺にこみ上げるものがあった。体の奥の方で、ずっと分裂してた何かがカチッとハマった感じがした。この「カチッ」が、最近よく起こる。満たされて、懐かしい。

その場を立ち去った後も、ずっと背中で野太い声を聞いてた。木から見たら、山から見たら、神さんも仏さんもどう見えているのだろう。ただ歩く人は、祈る人は? ただ命だけが流れて、何者の依り代にもならない樹齢何百年の巨木があったとして、そこにただ命があること以上に真実ってあるのだろうか。

昨晩は満月だった。私とクノイチは、この2日間で随分いろんなことを話した。この先の、子供を迎えることとか、友達とか、将来のこと、10代のこと。喉がカラカラになるまで話をしながら、多分お互いがそれぞれに自分のことに気づいたりした。会話の端々に、お互いが大切なことを伝え合う。同窓会に当たり前に顔を出すような人生には、どうもならなかった。自分の形を変えてまで何処かに所属することが、いまでもよくわからない。ただ分かり合える人と、わかりあっていたい。それができるなら距離とかどうでもよくて。

だけどそんな話をしていたら、やっぱりお月様の力なのか、必要以上に胸のあたりが全開になって、きゅうっとして、どうにも山を歩きたかった。ただ「お参り」というには、健脚向きの山歩きだったけど、我ながらアスリートかと思うほどのハイクタイム。ていうか歩いても歩いても疲れない不思議な山だった。もとい、お寺、聖域である。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA 私が好きなものはこれ、嫌いなものはこれ。そうやって突き詰めていくほど、呼吸はしやすくなったけど、だけどやりにくいこともある。引き返す気にはなれない、自分自身がどんどん色濃くなっていく。だけどこのまま行けば、自分を表現していけば、絶対に仲間がいる。中途半端に笑い合うとかじゃなくて、たった一瞬でも交差した点で満たされる、そういうのがいい。

嘘をつかなくなって、生きやすくなるほど、誰かと心底わかり合いたいと思うことも増えた。だけど分かり合える相手は、人間だけじゃない。それを知っている自分の体に、救われてきた。でも時々思う。私はわかりあうことに貪欲なのかもしれない。漏れて溢れるものを、こうして物言わぬ景色に求めるのかも。山から帰ると、ぽこちゃんは私をじっと観察するように見ていた。撫でると気持ち良さそうに目をつむる。手から、鞍馬の風とか匂いが出ているような気がする。ぽこはそれをじっと感じている。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA チャリで嵐山行って、2人で食べたキュウリが美味しかったなあ