弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

夫婦と夫婦で天川へ

17日から19日まで、友人夫妻が東京から遊びにきてくれた。前に大沢温泉で会った時に比べ、シュッさんのお腹が格段に膨らんでいる。まだ男の子か女の子かはわからないらしいけど、なんとなくこっちなのかなあ、という予感が勝手にした。

私は15日に体調を崩して回復したてで、あまり本調子ではなかったけど、かたや妊婦。なんだか気楽になれた。女性陣の食べ物リクエストは終始「さっぱりしたもの」になった。とにかくのんびりした旅になりそうだと思った。以前もこうして、妊婦と佐渡島へ旅行したことがある。身重の女性のリズムは心地いい。

初日は京都で遊んで、翌日は天川村へ。途中、奈良の當麻寺前で食べたにゅうめんが美味しかった。甘く漬け込んだしいたけの出汁がきいた汁に一同感動する。大阪を通過する運転で疲れた夫と交代し、なるべくカーブで車体が揺れないよう慎重にドライブ。後部座的では夫婦が眠っていて、下市を超え山中に入ると起きたようだった。

洞川温泉のどんつきにある、こじんまりした宿「花あかり」にチェックインして、すぐさま散歩へでた。龍泉寺の山藤が強い香りを放っていて、まるで蜂のようにシュッさんが花に吸い寄せられ、澄んだ池に感動している。ここは水の寺のようだ。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA 温泉街をふらついていると夫妻がいない。向こうの橋で何か川を見ている。可愛い2人だなあ、と夫。写真を撮りあう。なんだか照れる。「大切」という文字が浮かぶ。あっちの橋とこっちの橋で、私たちは大切な時間を過ごしている。 S_7984954105286 OLYMPUS DIGITAL CAMERA 2人とも「渓谷が見たい」というのでみたらい渓谷を目指した。途中間違えて遊歩道へ入ったが、山道を歩いているうちにびっくりするくらい元気がみなぎってきた。病み上がりが嘘のようだ。我ながらギャグみたいでなんだか恥ずかしい。

みたらい渓谷に来たのは本当に久しぶりで、あとで母に聞くと幼少期はしょっちゅう遊びに来ていたらしい。岩壁に川の音が響いて、夫が「すごい音だ」と目を見開く。カントクはシュッさんを気づかいゆっくり降りてくる。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA カメラがウオータープルーフだったことを思い出して水中を撮るのに夢中になる。みんなでパシャパシャ撮影する。誰もわざわざ何かコメントしない、無理に言葉にしない、コミュニケーションをするのではなくて、一人一人がじっと何か感じてぼうっとするような、そういう空気がなんとも心地よくて、岩に座って空を仰いだ。こんな時間を4人で共有しあえるって、すごいことのように思える。

夜は吉野葛や豆腐がふんだんにもられた野菜鍋をいただいた。食事の間には囲炉があって、夫がしきりに感心している。この地区唯一という源泉掛け流しにつかったおかげか、すっかり調子が良くなった。夜は金ローで「かぐや姫の物語」をやっていた。いまになって、姫が都を脱走するシーンで走っているのが鴨川か高野川辺りだと気づいた。

深夜、ものすごい雨音で起きた。夢うつつに、空に向かって「明日は出かけるときにはお勤めを休んで欲しい」とお願いした。

朝ごはんを食べていると、カントクに「かぐや見てたら弥恵さん思い出す」と言われて、嬉しいような恥ずかしいような気分になった。宿を出た途端に雨が止んだ。さて、いよいよ坪ノ内だ。洞川温泉は同じ天川村だが、幼少期の思い出は少ない。対して坪ノ内は、7歳までを過ごした。自分の秘部のような気さえしてしまう。

案の定、集落に入ってからはもう落ち着かなくて、ずっと自分の裸を見せているような心地だった。思えば友人を案内するのは初めてだ。(一度登山目的で友人ときてはいるけど、村を歩いてはいない)。神社でお参りをして、どうしても連れて行きたい場所があって、そわそわしていると、夫婦が、「あの木がすごい」と空を指差す。神社の外の、通りを挟んで向かい側にある来迎院のイチョウの木。私が一番好きな木、好きな場所。もしかしたら、何より信じているかもしれないもの。それを、まっ先に見つけてくれたことが、嬉しかった。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA イチョウの木は、新緑の葉をつけて若々しい表情で迎えてくれた。夫婦が、蝶々みたいに吸い寄せられて行った。私は木が、何か内側の圧をぐんと広げているのを感じた。神聖な存在がいたとして、その住処を選ぶとして、私ならこのイチョウを選ぶ。そういうことを言葉にするのは野暮だ、もうこういうところで、何かをいちいち言葉にするなんて野暮だと思った。

それくらい、この夫婦には言葉がいらなくて、何か大切な時間が流れているのが伝わって、それがこんなに、ただそばにいるだけの自分を満たすものなのかと、もうずっと空いたままだったような箱にひたひた水が注がれる心地がする。

後になってこのときのことを日記に整理していたら、私は、満たされて初めて、許せることがあるのを知った。この夫妻によって、随分古い箱を開け、すす払いをできた気がする。

気がつくと、村の入り口のカフェ「おおとり」にいた。数年前に移住してきたという夫婦が営んでいて、小学校3年生のお姉ちゃんと幼稚園児の男の子がいつも懐っこく話しかけてくれる。聞けばどちらも、名前の1文字が私と同じだった。

食事を注文して待つ間、ふと近所を散歩した。幼稚園の園歌をなぜだか思い出し、カフェに戻って姉弟に歌って確認すると、「あっとるよ」と、少し続いてくれる。うっと涙が出そうになって、なんとかごまかした。

シュッさんもカントクも夫も、すっかりふにゃらけたいい顔になってる。本当にのんびりしたねと、車を走らせ村を出る。トンネルを超えたあたりで、さっき飲み込んだ涙がブワッと溢れた。自分でもなんでこんなに涙が出てくるのかわからず、気恥ずかしいあまりそれすら飲み込んでしまって、あろうことか、1時間後に入った国道の喫茶店で、夫婦が「やはり今日のうちに帰ります」と言ったのに刺激され、またドボドボ流れてしまった。

ケーキをつつきながら夫婦が笑っていて、私は、彼らと天川に来れたことが、一緒に旅行をできたことが、本当に楽しかったんだと今更気づいた。なんて大切な時間だったんだろう。

お腹の中の子は、楽しんでいてくれただろうか。