弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

畏怖を愛する

OLYMPUS DIGITAL CAMERA GW半ば、大文字山に夫婦で登った。400mそこらの低山ではほとんどが杉の植林地帯でも珍しくないのに、銀閣寺真裏の登山口から上までずっと、豊かな植生、沢もあり、光と風が入る明るい森だった。

登山口近くにあった八神社でまず柏手を打ち、途中のお地蔵に手を合わせ、登山口でまた一礼した。私なりの山への挨拶。というか儀式。そこがどんなに低い山で、人が多い場所でも、山は本来人間の世界じゃない。だから日常の気分を持ち込んではならない。

手を合わせると、まるで神社仏閣にお邪魔をするときのような、清々しい緊張感に包まれる。これまで登山をしてきて、山には私たちを超えた見えない存在がいることを実感してきた。それは時々怖くもあり、助けてくれることもあった。気づけば私は、それらを愛していた。

GWだったからか、大文字山はとてもひらけた雰囲気で、子連れも多かった。1時間弱で登頂できることもあり、外国人観光客が夕日目当てで登ったり、中には大学生が飲み会目当てで登ってきたりすることもあると、地元のおじさんに教えてもらった。おじさんは毎日登っているそうで、引っ越してきたばかりだと伝えると、3枚ほどのお手製の地図をくれた。

そのうちの1枚には、五山の送り火のために地元の人たちが1年をかけて準備をしている絵が描かれていた。こうした啓蒙を含め、時にはマナーの悪い登山客を叱咤したりして、守っているのらしい。なんて頼もしいんだろう、頭が下がる。実はこの日、とんでもない登山客に遭遇したばかりだったので、おじさんと出会ったことに、心が救われたのだった。

山中を見回るのはとても大変なことで、私でも人を注意するのはかなりの勇気がいる。最近はハイカーが増えて遭難が多いとか。「こんな低山で」と驚くと、低山だから初心者が油断するのだという。低山でも山は山。何よりここは霊山であり、地元の人が大切に守っている山だ。誰に教わらずとも、畏怖の念って感じないもんだろうか。

数日ほど、色々と考え込んでしまった。過去にやったアウトドアカルチャーの系譜についてまとめた記事など久しぶりに読み返したり、「大文字山を食べる」というタイトルの、麓で暮らす人の採集記を読んだりした。アウトドアと霊山って噛み合わせ悪いんだよな〜などと、考えをめぐらせ書きまとめたけど、ブログに載せる気にならなかった。いやはや、こういうモヤモヤを含めて、やはり山は楽しい。久しぶりに登山をしたらすっかりエンジンがかかってしまった。

数日後、上賀茂の方へ自転車を走らせ、太田の小径を歩くことに。こちらはさらに低い山。葵祭が近いこともあり、太田神社の周りではお神輿だろうか、地元の人たちが何やら準備に奔走している。その脇でそそくさと参拝をすませ、裏手から山に入る。今日は山菜チェックを兼ねている。

だけどあまりにも日差しが強いので、すぐに森へ入ると、植林地帯で光が入ってこない。痩せた杉と、切られた丸太が横たわっている。とりあえず木の芽が生えかかっているのだけを確認して、山歩きに切り替え、ピークを目指した。たった10分でついてしまった。でもこれじゃ運動にならないと、あちこち歩いてみる。裏手にゴルフ場。夫を振り返ると「お腹が空いた」という。山菜の下見はまた今度だな。

上賀茂神社の近くに、サバの味噌煮が美味しい定食屋さんがあるという。正午についてみたらすでに列ができていた。地元のおじいさんおばあさんらにチャリザベスのことを色々聞かれながら電動式自転車の話をする。もうほとんど暇つぶしみたいな会話。お腹すきましたねえ。

ガラッと戸が開いて、冷房風に押し返されながら、中へ促される。長机が壁際についていて、みんな壁を向いて黙々と食べている。メニューはサバの味噌煮定食が七百円、チキンカツとか卵焼きがついたボリューム満点な学生向けっぽいのが七百五十円。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA 2人で後者を選ぶと、すぐに運ばれてきた。箸の先で鯖を割ると、くたくた柔らかい。一体何時間煮込まれたのだろう、と首をかしげるほど味が染み込んでいる。夫はかなり満足げ。みると、学生さんがテイクアウトしていく。学生時代の味があるっていいよなあ。

家に帰ると、きつい眠気がやってきた。山に登った後はいつも眠い。これが山中で何泊もしてるとなんともないのと、標高やハイクタイムに関係ないので、どうも山と街との差異に感応しているような気がする。と言っても、同じ症状がある人に出会ったことがなく、なんと唯一その人が夫だった。すぐにコーヒーを飲んで、若干落ち着いたらしい。私は気づいたらベッドで眠っていた。はざまで、誰かと話をしている自分の声を、聞いた気がした。