弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

山菜とりで、たぎる本能

DSC_0284 今朝は母が大量に採って送ってくれたこごめをいただく。毎年この季節は新潟に帰っていたけど、今年は無理かな。東京でも京都でも、スーパーで山菜を販売していて今だにカルチャーショックを感じる。ふきのとう500円て。

身内びいきみたいだけど、日本で最も山菜が美味しいのは雪国だと思う。屋久島で食べたよもぎの新芽やタラの芽も絶品だったけど、やはり雪の下で力強く根を張り育った山菜には、強烈な力が蓄えられているなと感じるのよな。

母は湯がいたこごめをジップロックに小分けして送ってくれた。封を開けてお皿に盛って、マヨネーズに醤油をかける。たまに七味も。口の中に塩気を感じる。ふと、台所で左手を腰について、鍋と向き合う母の立ち姿が浮かぶ。

ほんのり広がる土くささ。雪の下敷きになっていた藁の間から、まるでカニの手が伸びるように突き上げるこごめ。あの小高い山の、まだ新緑前の木々の下で育ったんだろう。

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昨年は祖母と一緒に採りに行って、途中で小雨に見舞われた。私たちは杉の林に避難して、雨が当たって冷えないようにと、祖母に簡単な屋根をこしらえた。

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雨が上がって、そろそろ下山かなと思っても、祖母は腰を曲げてこごめを追いつづけた。

まるでバッタを探す子どもみたいで、その背中に何層もの祖母の過去が重なる。老人といるときほど不思議なことはない。目に見えている姿と、心が時々一致しない。特に野山にいるときの祖母は、ウサギが飛び跳ねるように心だけどんどん先に動いているみたいに見える。

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帰り道で、雪が溶けたというのにまだとぐろを巻いて眠っている蛇に遭遇する。黒光りする縞模様に、胸がグキッと音を立てる。祖母は「まだ冬眠明けでのろいから平気だ」と、その脇をてくてく進んで行く。

山歩きに必要なほとんどのことを、私は祖母から教えてもらった。そういう、何気ない会話や、身のこなしで。幼いころから祖母の後をついて山に入った日々が、大人になった私をどれほど救ってくれただろうか。

米どころの地主の家で育った祖母から聞く昔の話の中に、田舎特有の窮屈さを感じるたび、山菜を採りに行くような山歩きは、当時から、自分の身体を思うまま拡張させ、それでいて1人を実感させ、人間に深呼吸を促す場であったのだと思った。

山菜なんて、自分で食べる分だけとるのならあっという間に終わる。「これを帰って食べさせよう」という動機が、山からの恵みのおすそ分けに欲が出ることを許してくれる。だって山菜の本来の楽しみは、「採る」ことそのものにあるのだ。

さてそろそろGW。ってことは、新潟では木の芽が生えてくる頃か。私はあれを卵醤油にして食べるのが好きだ。京都では、大文字山で山菜とりをする人がいるのを聞いた。今は何が生えているのだろう。 DSC_2269 通称木の芽は、アケビの新芽のこと。地元の新潟らへんだと卵醤油で食べるのが一般的