今日は熊野本宮の例大祭だった。夫婦で行く予定だったけど、予報が雨なのでやめて、ふと思いついて友人に電話。「今度熊野行きませんか、彼らも誘って」。電話越しに弾む声。なんとなくそういう絵があった。次の熊野は、我が家と仲間たちで、わいわい楽しんでるような絵。
熊野が好きだ。ちょっと熊野のことを書きたい。
昨年、私は1人、熊野を旅していて、ちょうど運よく例大祭に出くわした。
本宮は山中にあって、特急が止まる新宮市から車でも1時間近くある。初日は新宮市の宿に泊まったけど、おかみさんも誰1人、例大祭があることを知らなかった。
熊野といえば「熊野三山」といって、3つの山がある…のではなく、3社の神社がある。海際の新宮市には熊野速玉大社があり、那智勝浦には日本一の規模を誇る「那智の滝」のある那智大社、そして熊野本宮大社は山中にある。
本宮を頂点に点を結ぶと2等辺三角形になる。それぞれを車で行き来しても40分程度かかり、那智と本宮では1時間強かかる。新宮市から本宮までは車で40分。そこでお祭りがあるのを市内の人が知らないのも、無理はないのか。物理的距離からして別世界の話って感じなのかもしれない。
一般的に、観光客はやはり三山を全てめぐるのらしいけど、私や夫はいつも大体、
1、 本宮と、そこから徒歩5分にある大鳥居のある「大斎原」
2、 玉置神社(本宮よりさらに山奥、十津川村にある。熊野三山の奥宮)
あとは余裕があれば、
3、 那智の滝(那智大社まで上がらず、滝そのものを祀る飛龍神社まで行くことが多い)
4、 神倉神社(速玉神社奥宮。火祭りで有名。熊野の神さんが降臨したという巨大な磐座がある)
5、 花の窟(熊野市方面を海岸線に行くと道路沿いに。イザナミさんが祀られていて、日本最古の神社ともされる)
をめぐる。てか書いてみて気づいたんだけど、熊野は割と原始信仰的というか、自然のままむき出しの磐座やら滝やらを祀る場所が多くて、私は拝殿がある神社も好きなんだけど、ワイルドー!な世界観に惹かれがち。なんだろね、人の手や祈りによって守られながらも、思惑が乗っかりすぎないプリミティブさが好きなのかな。
ちなみに我が家は川湯温泉の大ファンで、川べりに混浴露天風呂のある「みどりや」にかれこれ5、6回は泊まっただろうか。部屋の中にいると、せせらぎが上がってくるの。
あと川湯から車で15分くらいのところにある湯ノ峰温泉の日帰り「つぼ湯」は過去最高に地の熱ガッツン!!と入ってきた名湯。日本最古の湯とも言われている。ここの湯筒で温泉卵作るのが楽しい。
本宮あたりって湯ノ峰温泉とか渡良温泉とかもう源泉マニアにはたまらんスポットで。川湯は本宮近くにあるので、必然的に必ず訪れるのは(1)になる。
私は独身の頃からとにかく旅が好きで、特に伊勢志摩や屋久島、沖縄諸島をしょっちゅう巡っていたのだけど、熊野にたどり着いたのは結婚してからだった。それも今思えば、笑える巡り合わせだった。
http://www.hongu.jp/kumanokodo/より
熊野といえば「熊野古道」。実は7つくらいの道があるとされ(数え方に諸説ある)、いくつかはすでに舗装されているのだけど、1泊2日くらいで歩ける中辺路は今も数多くの人に歩かれている。
熊野一帯がグリーンミシュラン3つ星なエリアだけあって、途中からは割と軽装のフランス人が歩いてたり。伊勢の神道、高野の密教、吉野の修験道と、あらゆる宗教も、善人も悪人もオールウエルカムな懐の深い熊野への参道がある。
その昔和泉式部が熊野詣でをしたとき、あとちょっとのところで月のものがきた。当時は一ヶ月とかかけて歩いているわけで、式部は「ここまできたのにー!」と大ショック。すると夢枕に熊野の神様が立って「どうぞそのままでお参りください」とおっしゃったそうな。
その懐の深さは、最果ての海を前にした、ここは「あの世の境」という景観からくる、というのを聞いたことがある。熊野は死の国。なぜなら、イザナミが葬られた場所でもあるから。だからここは、訪れる人が「一度死んで」蘇る場所。そう、私たち夫婦はここで「蘇った」んである。
初めて夫婦でここを訪れた2016年冬、私たちは直前に離婚未遂をしていて(爆)、思えばこの熊野参りで再出発したようなところがある。
独身時代から憧れて、だけどとっかかりのない熊野にこの時初めて訪れたのは、夫婦で大好きな漫画「溺れるナイフ」の舞台モデルが熊野だったから。同作の映画版が公開した日が、離婚届を渋谷区役所にもらいにいった日だった。
その帰り、夫が「最後に一緒に見たい、2人で大好きな作品だったから」といって映画館に誘ってくれ、号泣、久しぶりに仲良く、宇田川で火鍋を食べた。
結局キワのキワまでいって別れられなくて、かといって再出発の一歩をどこで踏み出せばいいのかもわからなかった。というかもう2人ともヘトヘト。当然、話し合いも調整もめちゃくちゃしたわけで、この頃は体重もー7キロくらいに減ってた。もうあとは時間の経過かなあ、なんて思っていたころ、夫の発案で訪れた熊野だった。
そしたらもうそれまでの喧嘩やら何やら忘れるくらどハマりしちゃって、さらに一ヶ月後に再訪。その頃には「離婚未遂ってあたいたちにとっては通過儀礼だったのかも(はあと)」みたいにケロッとしてて、年越しを2人揃って熊野で祝い、チュッチュしながら過ごした。(各位多謝)
なんだかこう書くと魔法みたいだけど、全ては結果論で、初めから熊野に何か期待した訳ではなかった。
熊野=蘇りの国=夫婦リニューアル、に「くあ!」と気づいたのは、1年も経ってからだった。こう、神社は好きなんだけど、ご利益もらうとかお願い事ってあんまりしたことなくて、後になって「あのとき訪れたのってこういう意味があったね」って気づくことが多いのかも。
ただ少なくとも、「新しい土地」と新しく出会うことが、何かをもたらしてくれる予感はやっぱりあったなあ。ちょっと行き詰まった時に新天地に赴くのは、やはりネクスト展開への突破力になるな、とは経験から思う。
そういう心身に、染み渡り元気よく復活させてくれる熊野なんだよねえ。魅力を一度に語り切るのは至難の技なので、前置きはこの辺にして(前置きでもう1200wも使っちまった)、そうそう、例大祭である。ちょうど昨年、大祭に参加したのを回想した日記を読み返していたら、うっかりじわっときたのでアップしたくなった。
なんだかんだ書いたけど、多分熊野に惹かれるのは、自然の爆発力と祈りの力の均衡によって作られた特有の空気感、その圧なんだよね。その圧は、南方熊楠や中上健次を生み出したわけで、つまり命としてすごく濃厚なんだなあと思う。
続く。