弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

賢者の恋(大沢温泉13日目)

大沢温泉館内にある露天風呂の前のベンチで、「あら、あなた」と声をかけられた。色の白いおばあちゃんが、子どもみたいな笑顔で私を見上げている。ピンク色の縁のメガネ、色素の薄い瞳、滑らかに歌うような訛り。「あ!」とすぐにうれしくなって、すっとんきょうな声をあげてしまった。

そのおばあちゃんは、ついおととい、散歩中に出会った地元の人だった。 「おカアさん、私、昨日もあの辺散歩してたよ。また会えるかなって思ってたの。ここで会えるなんて」。 「気が向いでね、散歩がてら立ち寄ったのよ。地元の人は無料で入れるからね」。 お互い、まるで女子高生みたいな、「きゃー!」ってなノリで湧いて、私はすぐさま隣に座った。通りかかった清掃のおばさんがちょっとびっくりして、ニコニコ会釈していった。

二日前のこと。その日、私は定番になった雪原コースをてくてく歩いてた。 DSC_0262 何もない雪原の向こう、山の真ん前にポツンと、真っ白な雪帽子をかむった鳥居が立っていた。参道は当然雪で埋もれていて近づけない。拝殿らしきものも見当たらない。背後の山そのものをお祀りしているのだろうか? 穏やかな里山にしか見えないけど。

気になってキョロキョロしていたら、手前の道路っぱたに木でできた看板の頭が見えた。ほとんど雪で見えないけど、「天」という字がのぞいてる。ダウンの袖でエイっとこすると、「照」が出てきた。ひとまず鳥居に向かって手を合わせ、歩き出すと、正面から第一村人が歩いてきた。それがおばあちゃんだった。

「あの、おカアさんちょっといい? あそこに鳥居があるけど、天照さんの神社があるの?」。おばあちゃんはふわっと笑って、「あのあたりにあるよ。ここらでは水神さんって呼んでるの」と、山の上を指差した。「このへんは田んぼだがらね、神社のとこに堰(せき)があるの。この辺の人はせぎっていうね。春になるとね、みんなでそこさ上がっで、『堰払い』って言ってねえ、冬の間に溜まった小枝とか枯葉を掃除するの。そうすっと水が流れて、田んぼに行き渡るわけさ」。

「あなたは温泉に泊まっでるの?」おばあちゃんは私が来た道を歩き出した。私は立ち止まったまま、うん散歩中だよ、と答える。今日はこの先まで歩いて、道の果てを見たいと思ってる、というと、「何もないよ、私と行こう、もう一個、ちゃんと雪が払われてる神社が公民館の近くにあってね、通り道だから、そこさ連れでってあげるよ」。そういって半ば強引におばあちゃんは歩き出した。

「私大沢温泉にいるんだけどね、温泉ばっか入ってると体が鈍る気がしてね、おとといから歩いてるの」と追いかけると、「私もだ」と言いながら、両腕を大げさにふりはじめた。「毎日ね、この道さまっすぐいって、グルーっていって、曲がって、温泉の前の通りから帰ってくるのが日課なの」。「そうなんだ、はあ、てかおカアさん、歩くの速いね、はあ」。私が遅いのもあるだろうけど、散歩中の年寄りってどうしてこう、歩くのがやたらに速いんだ。

というのも、私はなぜか、旅の途中にこういうお年寄りと連れあうことがしょっちゅうある。例えば小豆島で島遍路をしたときは5日間で計4人の、地元のおばあちゃんやらおじいちゃんと一緒に歩いた。彼らは夕方になると、降って湧いたように道端に登場して、大抵笑いかけてくるので、こっちも一人だしとつい声をかける。すると大抵、「あのあたりまでが散歩コースだ」と説明してくれ、もうそのころには一緒に歩いてる。

たった10分話しただけなのに、別れ際に涙ぐんでくれるばあちゃんもいれば、今回みたいに唐突に「この先に神社があってだな」と、まるで秘密の宝箱のありかを教えるように告げてくるじいちゃんもいる。もはや私のなかで、彼らは旅という名のリアルRPGに決まって登場し、なにがしかを示唆し、もしくは土地と私を繋げてくれる賢者、いや土地そのものが具現化した精霊、みたいな存在なのだ。

さて、この花巻のおばあちゃんは、神社のありかよりもっと大事なことを私に教えてくれたのだった。

私はベンチで足をぶらぶらさせながら、二日前のことを話した。「あのあと、ちゃんとお参りしたんだけどね、公民館のとこの神社の由緒書きは、やっぱり雪で埋もれてて見えなかったよ。頑張って読んだけど。つまりこの辺りは山仕事をする人が多いから、あそこには山の神様が祀られてるんだね」と確認するように聞くと、おばあちゃんは満足げに笑ってた。

私たちが座っている3人がけくらいのベンチからは、廊下を挟んで向かい側がガラス張りになっていて、外の川や、雪に覆われた山肌、突き破るように伸びる枯れ木が迫ってくるのなんかが、よく見える。ぼうっとその景色を眺めていると、ふと散歩中におばあちゃんがしてくれた話を思い出した。

このあたりは春になり、木々の新芽が出てくるころ、山々が淡い桃色になる。それがなんとも心をほぐす風景で、おばあちゃんは秋の紅葉より、春の山々の方がずっと好きなんだそうだ。

「おカアさん、こないだ春の山が桃色になるって話聞いて、またすぐ来たくなっちゃったよ」。そういうとおばあちゃんの顔はますます華やいだ。

「秋の山のはっきりとした色よりね、もうずっと淡くてね、春は大好きなの。桜が咲いてるんじゃないよ、新芽は赤いからね、あれが集まるとうす桃色になるんだよ」。寒々しい窓の外に、今まさに春がやってきたかのような口ぶりで、おばあちゃんは目を見開いた。その横顔は恋する乙女のようだった。瞬きの間に、その景色が一瞬見えた気がして、胸がぎゅっとなる。雪国の人が焦がれる春の山。私もきっと、恋をするんだろう。

おばあちゃんは、露天風呂から出てきたご近所さんらしき人と一緒に去っていった。地元の人は無料でいつでも入れるのらしいけど、おばあちゃんはタオルも持ってない様子だったので、単に館内に遊びに来ただけだったらしい。「実は源泉が直下から出てるのはあそこなんだよ、疲れもバッチリ」と、ついでに館内にあるオススメの風呂まで教えてもらって、なんかもうドラクエだな、とおかしくなった。