弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

湯治のリズム(大沢温泉5日目)

私がいる本館の自炊室にはガスコンロが2つあって、人が2人もいれば満員になる。共同炊事場は隣の棟にあって、そこは理科室くらい広いけど、料理をするには遠い。きんと寒いこの自炊室を使ってるのは今のところ私のみらしい。

新玉ねぎに新じゃがが手に入って、コトコト肉じゃがを煮る。調味料は持参。昨日イトーヨーカドーで醤油だけ買ったけど、安いせいか甘すぎるので、みりんを控えめに。傍で山ウドを煮る。山菜料理は土臭さ、青臭さをなるべくのぞいて食べるものらしいけど、私はこの土臭さがたまらなく好きなので、香りが飛ばないうちにお湯からすくってしまう。酢味噌であえる。

スーパーの野菜陳列棚はみんな春を迎えていた。といっても新じゃがは長崎県産、新玉ねぎは静岡産。どう見ても岩手はまだまだ冬だけど、こうして全国一斉に「食卓から春」、みたいなことが実現していくんだと思った。春には、引力があるよなあ。白菜は相変わらず高騰してて、葉のやせ細った4分の1カットが二百円くらいで売られてた。東京と変わらない。

そういえば、お得情報を流すための営業放送が入るたび、なぜか歌から入るのが面白かったな。メロディは思い出せないけど、「も〜そろそろ春です〜ねえ〜」みたいな、全然雪降ってんじゃんって突っ込まずにいられない歌い出しで、じっと聞いてると「はい、今日のご奉仕品は。。。。」とサクッと話が始まる。間を与えられないことで、かえって声の主の照れがあらわになってる感じがして、なんともむず痒い。多分「竿や〜竿だけ〜」的な文化がそのままスーパーに引き継がれてるノリなんだろうな。

買ったばかりのレバー串を、フードコートで開けて食べた。なんでかレバーを見た瞬間、猛烈にお腹が空いたのだった。営業放送を聴きながら一人でクスクスしてると、隣のテーブルでラーメンを食べていた、くたびれたキャップのおじちゃんと目が合った。私が笑ってみるのより、おじちゃんが顔をそらすほうが早くて、私の笑顔が迷子になった。でもちゃんと引き取った。なかったことにしたらなんか負けたみたいで。

それにしてもこっちにきてから運動していないせいか、食べる量もかなり制限されて、白米と納豆、味噌汁を炊き出しコーナーで買って食べてる。食堂に行ったのは初日だけ。今日はまた大雪で出歩く気にはならなかったけど、料理はしようと思った。すごく好きなわけでも、得意なわけでもないけど、料理をしてると集中しきるのと、身体が勝手に動く感じが心地よい。結婚して一番変わったのは、台所に立つと勝手にスイッチが入るようになったことだなあ、なんて思った。

包丁を握った途端に家に帰って来たみたいになって、いっそ家にしちゃおうと、スカイプを繋げて夫を画面いっぱいに写しながら、玉ねぎをサクサク切った。私が歌でもない歌のようなものを口ずさむたびに、話しかけられたと思った夫が「え?」と優しく聞き返して来るんだけど、一時停止されたくなくて「歌ってんだよ」とわかるように歌ってたら、後ろに小学生くらいの少年が流しを使おうと突っ立ってることに気づいて、なんか引き戻された感じがした。

これだけ毎日大雪だと、部屋にこもることがどんどん正当化されていく気がして(いやこもるために来たんだけどね)、ますます今自分がどこにいるのか曖昧な感じになる。湯治は、旅とはかなり事情が違うな。暮らすように旅をするのが好きだけど、これは暮らしとも違う。暮らしはもっとリズムがある。包丁持てば勝手にタタタ、じゃがいもラララ、みたいな。

お籠りのリズムがまだ私には新しいみたいで、こういう時は天気に全て委ねるに限る。明日も大雪だ。うん、晴れてくれなくていい。んでまた、昨日みたいに、動きたくなってくると晴れるだろう。晴れるから動きたくなるのか、動きたくなるから”晴れる”のか。ちょうどその真ん中に突っ立って生きるのが私の趣味なんだけど、こと渓谷のように環境が味方してくれる時間のなかでは、後者の世界を生きてるなと、思うこともある。