弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

沈黙のわ(大沢温泉2日目)

布団に潜って目をつむると、沢の音がした。脳天めがけて清流が流れてくる。自然と、枕の位置が川の上流を向くようにしていたことに気づいた。何度引っ越しても川の近くに住んでいた我が家で、母がいつもそうしていたことを思い出した。「こうすると、頭の先からつま先まで、川が通るみたいでしょ」。そうか、母はあのとき言葉の魔法を、私にかけていたんだなと思う。

私の身体にはつくづく、その手の魔法がかかっている。温泉の入り方なんて母そっくりだ。まずは掛け湯をして、そうっと下半身だけ入り、ゆっくりと肩まで浸かる。のぼせやすい私はあまり長い間肩まで浸からない方がいいようなのだけど、油断してるとすぐ「肩まで浸かりなさい」という声が聞こえる気がして、首の付け根まで潜る。

一旦身体が温まると、今度は岩や階段のある、深さを調節できる場所に移動して、うまいこと手先と足先だけをだす。「こうしてるとのぼせない」と教えてくれたのは、確か母が小岩に住んでいたときに訪れた温泉ランドでのことで、「肩までつかれ」一辺倒だった母がそんなことをどこで覚えたんだろう、と思った。

今日は何度か、湯治部にある女性専用の露天風呂「かわべの湯」へいった。脱衣所が渡り廊下のような場所にあり、思いっきり空っ風が入って来るなか、びゃっと脱いでお湯に浸かる。昨晩から振り続ける大雪が横殴りの風でさらに激しくなり、川の流れもいっそう速くなった気がする。ただ、雪の結晶一つ一つがかなり小さくないか。新潟の雪はわたあめをちぎったように大きいのに。

誰もいない。 温泉に入るのが上手くなったのは最近だ、と思う。以前はどうしても頭がうるさくて、じっと温度を感じることも、集中することもできなかった。でも自分なりにコツを掴めてきた。温泉に集中するときは、全身で温度を感じて、あとは音だけを拾えばいい。蛇口から出続ける源泉が滴る音、排水溝に吸い込まれていくお湯の音。

沢のどこかで、今岩にぶつかって二股に割れた流れの音。その流れが私の耳に届くまでを追いかける。屋根の雪がどさっと落ちた。誰かが怒ってるみたいで、どきっとした。立ち上る蒸気の向こうに、小鳥の声が一瞬響いた。何か手短に知らせるような、ほとんど信号のような声だった。

のぼせそうになる手前で、一度上がって風呂の淵で体育座りする。まだ誰もこない。全身から湯気がごうごう上がっていく。静かだな、と思える景色は案外うるさいよな。だけど静かだと感じるのは、頭のなかがぼうっとしてくるからなんだな。

先月も雪降るなか、母と水上の温泉に浸かった。長引いた風邪がやっと治って、ヘトヘトで、「お母さん、私ちょっと一人がいい」といって、端っこの方でぼうっとしてた。するようにしてた。でも上手くいかなくて、お母さんに近づくと、目が、全然動かなくなってた。私が見えていないみたいだった。岩二つぶんくらい離れて、じっとしていたら、ぼうっとしてきた。お母さんの「ぼう」が作る輪が私の「ぼう」の輪に重なって、すごくぼうっとできた。

川にも岩にもそういう輪があって、自然にあるものばかりに自分の輪を重ねてきたけど、人のそれに甘えても、全然いいんだよな。そうしたらあの小うるさい沈黙が、ずっとずっと静かになって、私も心地いい沈黙で、誰かとぼうっとできるんだろうな。そういう風に甘える形が、あるんだよなあと思って、そういえば夫はそれがすごくうまいんだな、ということに気づいた。ああだから、私は温泉に入るのが上手くなったのか。

PS この廊下ほんとに好き DSC_0248.jpg