弥恵の「からだのかみさま」

東京→京都に移住したライター・弥恵(やえ)の日記です

今思えば。

25歳のあのころは、仕事、SNS、会話のすべてを、「自分のものじゃない言葉」で覆い尽くして生活していた。そのことに気づきもしないで、さもそれが自分の言葉であるように振舞ってた。その歪みはすでに体調に現れはじめてた。

それでも無視していたら、ある日突然、溺れるように、息ができなくなった。
 
代わりに出たのは大量の涙だった。はらわたを裂いた秋刀魚の上に、どぼどぼ溜まっていく涙。背中に店員の気配を感じて、風邪を装って鼻をチンした。和食屋を飛び出して友達に電話した。唇が震えてうまく話せない。会社には、戻らなかった。

以来、本心かどうか、自分でもわからないまま喋ると、私ののどちんこは震えることをやめて、のどぼとけが、きゅうっとしぼんでしまうようになった。身体はあまりにも素直に反応するから、だんだん抗う気力もなくなっていった。

本気で警告してくる身体は、はっきりと人格を持っていて、それは私なんだけど、私よりちょっと子どもに思えた。もう仕方ないやと思って、その子のいう通りにした。

「その子」は私を山へ川へと連れ出した。
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大きな木のウロのなかで、1日中ぼうっとしたこともある。朝日を拝むためだけに、山の中で何泊もしたことも。島を一度も出たことがないおばあさんにお世話になったり、ヒッピーと呼ばれていそうな人たちと暮らしたりもした。

言葉がないのに
とっても騒がしい世界の静けさ。

同じ言葉なのに
話が通じない世界で見つけた言葉。

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とりわけ、朝日が好きだった。世界で一番美しいのは朝だと思った。言葉にならない世界に触れると元気がでる。物言わぬ世界は音に満ちていて、私の身体はそのことを”覚えて”いた。だけど人に伝えようとするたび、慌てて、溢れて、結局また、のどが狭くなるのだった。

だから全部を日記に書き留めた。溢れるものを書くときは時間を忘れた。取りこぼしなんて一ミリもしたくなかった。邪魔になっているのは自分を良く見せるための言葉だと気づいて、SNSとかそういうのをばつっと切った。気軽な繋がりはなくなった。でもそのぶん、日常で関わる人との繋がりがどんどん濃くなった。新しい土地に引っ越してきた頃のことだった。

日曜の夜は、近所のみんなでご飯を食べる。言葉をちょっと外の世界に出してみる時間は、楽しくて、刺激が多い。自分の言葉が伝わったことが嬉しくて、「あれ伝わったよね!」と夫に何度も感触を確認したこともあったし、自分の言ったことがあとで恥ずかしくなって、枕に顔を押し付けて「わー!」って叫んだ日もあった。

そんなたいそうなことを話してるわけでもないのに、つい最近まで全然違う世界にいたはずの人たちに自分が伝わっていくことは、私には一つ一つがイベントで事件だった。言葉は外に出たり帰ってきたりを繰り返して、ちょっとずつ、成長していった。そして30歳がすぎた。



今、雪国にある実家でこれを書いている。私の身体は、相変わらず私に厳しい。今もふりかえって書いていたら、お腹がシクシクしてきた。でものどじゃなくてお腹が痛いってことは、もう出ていきたい”気持ち”が外に出て行こうとして暴れている証拠だ。きっと書き終えたら私は泣くんだろう。

子どもだと思っていた身体の人格は、反応によって私を導いてくれる「かみさま」だった。そのことがやっとわかってきたころ、東京を出ることになった。私の一つの時代が終わって、次の時代が始まった。そこでブログをやろう、と思いつきました。

伝えたい人たちに、出会えたからです。

その顔を思い浮かべて書いていきます。
私の一部になってくれてありがとう。
これが私の言葉です。

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